抽象的に考える 4月17日(水)朝日記
奇しくも、最近読んだ2つの本に、同じことが書いてあった。
どちらも、対象の抽象度をぐぐっと上げて、俯瞰して眺め、新たに見立て直す、というまなざしが共通している。
また、どちらも「箱」という解釈が導き出されているのも面白い。(ラーメンズのセットも箱だし)
何かものごとを考える時、特に仕事上の会話をするときは、目の前の問題を解決することが優先されるので、どうしても具体の話になってしまう。
それも仕方のないことで、抽象度を上げれば上げるほど、話題をどうとでも解釈できるようになってしまうので、収拾がつかなくなる。
具体の話まで落とし込めば、話者同士の考える範囲が絞れて、コミュニケーションスピードが速くなる。
でも、全ての場面で同じ考え方をしていると、狭い範囲で考えることに慣れてしまう。
まっさらな状態から何かを始める時は、抽象度を上げて新たに見立て直す方が、新しいものの見方、個性的な考えが生まれる、ということなのだろう。
例えばNHKの『ねほりんぱほりん』という番組は、登場人物がみなパペットの姿で登場する。
これは「新しいモザイクの形」を狙った演出なのだそうだ。
番組のゲストは、「元薬物中毒者」「わが子を虐待した人」「元サークルクラッシャー」などという括りで登場するので、素顔を晒せないという制約が生まれる。
ここからは想像だけど、きっと制作者は、モザイクについて抽象度を上げて考えたんじゃないだろうか。
単に「モザイク」と捉えると、顔をぼかすとか、黒く塗りつぶすとか、似顔絵にしてしまうとか、画像処理の範囲内で考えてしまう。あるいは影だけを映し出す方法もある。
でもそういった演出は大体、ニュースや警察密着もののイメージがつきまとって、必要以上に深刻な雰囲気になってしまい、制作者がやりたい方向性に合っていなかったのかもしれない。
ここで「正体が分からなければいい」というところまで抽象度を上げると、「そもそも本人の体すら必要ない」という、誰かやってそうでやってなかった発想に辿り着く。
そこに、NHKに昔から根付いている、人が隠れて音声を当てる人形劇という文化が組み合わさったことで、ポップな雰囲気も獲得することができた。
実際の思考回路とは違うかもしれないが、自分が何かアイデアを考えるときにこのような道筋を辿ってみるのは面白そうだ。
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