抽象的に考える 4月17日(水)朝日記

奇しくも、最近読んだ2つの本に、同じことが書いてあった。

自分が前提している意味の幅よりも、もっと広い意味の取り方をすれば、一見つながっていないものをつなげることができるようになる。
(中略)
つまり、具体的なものの具体性に縛られているために、繋げられる範囲が狭くなるんですね。それに対して、抽象度を上げていくと、より多くのものがフォルダに入ってくる。
たとえば、白い家を正面から映したショットがあり、次に脈絡なく、段ボール箱をアップで撮ったショットが続くとします。それで何が起きているのかはよくわかりません。
だけど、こんな見方をするのはどうでしょう。
二つのショットは、抽象的に言えば、似たものを映している。どちらも「箱」である、と。

『センスの哲学』千葉雅也

この時のポイントは、自分が持っているアセットを真正面から捉えるのではなく、何か他の定義に読み替えることができないか、という視点で眺めて見ること。そうして既存の概念から離れて「見立て」をしてみることで、アセットの新たな価値や、事業やドメイン(事業領域)のポテンシャルも見えやすくなってきます。
例えば、ホテルの場合、一般的な定義は「旅先の寝床」といったところでしょうか。
(中略)
しかし、広い視野からホテルを再定義してみるとどうでしょうか。例えば、ホテルは観光案内所などと同じく「旅のセーブポイント」と見立てることもできますし、クラブや漫画喫茶などのように「オールナイトで過ごせる箱」と解釈することもできます。あるいは、病院や保育園などの中まで「人が人をケアする場所」と捉えることもできるかもしれません。

『クリエイティブジャンプ 世界を3ミリ面白くする仕事術』龍崎翔子

どちらも、対象の抽象度をぐぐっと上げて、俯瞰して眺め、新たに見立て直す、というまなざしが共通している。
また、どちらも「箱」という解釈が導き出されているのも面白い。(ラーメンズのセットも箱だし)

何かものごとを考える時、特に仕事上の会話をするときは、目の前の問題を解決することが優先されるので、どうしても具体の話になってしまう。

それも仕方のないことで、抽象度を上げれば上げるほど、話題をどうとでも解釈できるようになってしまうので、収拾がつかなくなる。
具体の話まで落とし込めば、話者同士の考える範囲が絞れて、コミュニケーションスピードが速くなる。

でも、全ての場面で同じ考え方をしていると、狭い範囲で考えることに慣れてしまう。

まっさらな状態から何かを始める時は、抽象度を上げて新たに見立て直す方が、新しいものの見方、個性的な考えが生まれる、ということなのだろう。

例えばNHKの『ねほりんぱほりん』という番組は、登場人物がみなパペットの姿で登場する。
これは「新しいモザイクの形」を狙った演出なのだそうだ。

番組のゲストは、「元薬物中毒者」「わが子を虐待した人」「元サークルクラッシャー」などという括りで登場するので、素顔を晒せないという制約が生まれる。

ここからは想像だけど、きっと制作者は、モザイクについて抽象度を上げて考えたんじゃないだろうか。
単に「モザイク」と捉えると、顔をぼかすとか、黒く塗りつぶすとか、似顔絵にしてしまうとか、画像処理の範囲内で考えてしまう。あるいは影だけを映し出す方法もある。

でもそういった演出は大体、ニュースや警察密着もののイメージがつきまとって、必要以上に深刻な雰囲気になってしまい、制作者がやりたい方向性に合っていなかったのかもしれない。

ここで「正体が分からなければいい」というところまで抽象度を上げると、「そもそも本人の体すら必要ない」という、誰かやってそうでやってなかった発想に辿り着く。

そこに、NHKに昔から根付いている、人が隠れて音声を当てる人形劇という文化が組み合わさったことで、ポップな雰囲気も獲得することができた。

実際の思考回路とは違うかもしれないが、自分が何かアイデアを考えるときにこのような道筋を辿ってみるのは面白そうだ。

今日のおすすめ🌿
『センスの哲学』で紹介されていた、カールハインツ・シュトックハウゼンの曲。
一定のリズムやメロディがなく、音に振り回されるので、強制的に頭の中がミキサーみたいに撹拌される。
何か目的もなくふわふわと考え事をしたい時におすすめ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?