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【旅日記】思い立ったが岐阜日【岐阜】

今回は子供の頃、母と一緒に岐阜に旅した時のことを書いていきたいと思います。はっきり言って断片的な記憶しかありませんが、覚えていることを絞り出すのと、それに基づいて検索した内容を書いてみようと思います。少し特殊な旅日記となります。
 
時は平成12年、西暦で言うと2000年にあたります。私はこの頃中学1年生ですね。
何のきっかけかさっぱりわかりませんが、母と2人で旅に出ることになりました。
目的地もギリギリまで決めずその場で決めようというのが母の記憶、私の記憶だとそのころよく見ていたダーツの旅の真似事をして決めたような気がしていますが・・・
どちらにせよ大した準備はなく、岐阜県は関市に向かうことになったのです。
 
新幹線に乗り、まずは岐阜羽島駅を目指します。
そこから在来線をいくつか乗り継ぎ関駅を目指したのですが、これがなかなか長時間電車に乗った記憶があり、目的地に着いた頃子供の私にはハードだったのでしょう。すでにへばっていたと思います。

おそらくですが、よく調べると名鉄美濃町線に乗ったと思われます。単線で民家の間をすり抜けて走る風景は頭の中に残っており、なんとも長閑な感じだなと子供心に思ったのです。
しかし、この路線今は廃線になっているようでもう乗ることはできません。なんだか少し寂しいですね。
 
関駅に着いてからは、母は車の免許を持っていないため観光タクシーにお願いして、その土地の名所を回ります。実家を整理していると出てきた資料によると、岐阜県博物館ナイフ博物館にお邪魔しているもようです。残念ながら岐阜博物館に関しては全くと言っていいほど記憶はありませんし、資料を見ても甦ってきませんでした。


一方ナイフ博物館に関しては、それなりに記憶が残っています。
関市は刃物が有名な町で、当時の私はそこに興味が湧いたのです。博物館はちいさなログハウスの中にあり、一般的なものと比べるとこぢんまりとした感じです。展示品の内容までは覚えていませんが、楽しめたと思います。

まさかの日帰り旅程だったため、その後タクシーでどこかの駅まで送ってもらう途中長良川の横を通りながら鵜飼の話をした思い出があります。
しかし、この辺で私の体力は尽きてしまい眠りについてしまいます。せっかく連れてきてもらっているのに申し訳ないなと、当時も今も考えてしまいます。
ただ、母は私を起こすこともなく、駅に着くまで寝かせてくれたように思います。感謝です。
そこから先は大した記憶はなく、もう岡山に帰ってきただけでしょう。
 
以上で記憶を振り絞った岐阜の旅は終わりとなります。

お返しでいつか飛騨高山辺りに優雅な旅でも母にプレゼントしようかなと、これを書きながら少しそんなことを思っていたり・・・行くなら岐阜しかないでしょう!(笑)
今度は途中で寝ることもなく長良川で鵜飼を観られるといいですね。
 
さて、頭を使いすぎたので少し脳を休めるために今日はゆっくり眠りましょう。

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