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ざっくり源氏物語#4帚木②

前回は、左馬頭の人の「良き妻にめぐりあうのはとても難しい」という主張でした。この人のよき妻論はほんとに長いんですけど、「一般論」としてのよき妻?良き女性像っぽいことを皮肉を交えて書いているのかな、と感じたのでめんどうなのでざっくりいうとですね、
①見た目はそこそこ。
②若く、所作が優美である
③文を書けばキツイ事とか書かなくて、墨つぎがいろっぽくて、思いがある感じ?がして
④この人に会ってみたい、と思わせる思わせぶりさがいい。
⑤会ってみてもなかなか心を許さなくて近づかせない
⑥会っても声がかすかで全然聞こえないくらい
⑦優雅な女らしいと思わせる
なんていうか、気を持たせつつ身を許さず、もてあそばれたい感じ?平安時代のよき女は難しい。
妻の仕事はたくさんあるんだけど、そのひとつが夫の世話である。それは
①もののあわれが理解できたり、
②何かと歌を詠んだりして、艶っぽくしなくてもいいけれど、
③とはいえ、おしゃれぜんぜんしなくて所帯じみているのはどうなのか。
大きなお世話だよ!
④いろんな噂話とかもしたいけど、その機微がわかんない人とはできないよね。
⑤一番近いひとだからこそ、一緒にわかちあったり、話し合ったり笑いあったり怒ったりしたいけど、そんなふうにできない人に面白い事があっても語らないよね。一人で思い出し笑いしたときも「はあ?」みたいに言われたら泣けるよね!

夫の世話って世話じゃなくない?と思うが、それは時代の差ってやつですね。

じゃ、左馬頭はどんなのがおススメなのか。引用しましょう

「ただひたふるに子めきて柔らかならむ人を、とかくひきつくろひてはなどか見ざらむ。心もとなくとも、直し所ある心地すべし。」

ただ子どもっぽくて素直な人を思い通りに教育するのがいいよね。最初は心もとないけど、やりがいがある。
むむむ?

どんなことがあっても互いに乗り越えてこそ、夫婦ってもんだ。
ここだけ聞くとまあそうかな、と思うんだけど、その内容が都合よすぎる。
いやなことがあっても穏やかに対応して、夫を立てていけばゆくゆくは愛情が増すだろう。とはいえ、放置しすぎもダメだよね。とにかく、互いに気に入らない点があってもおだやかに相手を嫌な気持ちにしないようにまるく納めて我慢するそれが一番だよね。
おまえがいうな!とか思っちゃう。

これを聞いている頭中将はうちの妹(葵上と源氏)の話かな?と思って左馬頭の話をもりあげるのでした。
で、ここからそれぞれのコイバナになるんですけど、これを長々引用したのは理由があって、この話を覚えておくといろいろわかりやすいんですよね。この価値観なのね、と。

世間ではこういうのがいいと思っている、(けど、紫式部がほんとにそれがいいと思っているのか、同時代に生きた女の人がどう感じているのか)っていうことが源氏物語を通して伝わるのかな、なんて思っています。何回も言ってますけどね。私は理解の一助になったなと。

そして、話は個別具体へ。
左馬頭の話は「普通のおんなで軽く扱っていたら、キレて来たから倍返してやったらあいつ指をかんできたんだよ!恐怖!噛みつき女だよ~。でもそいついいやつでさ、そのあとも俺のこと待ってたんだよね。」の例と「風流で歌もうまい女がいたけどほかの男も通わせてて、しかも、冷静に見たらかなりチャラかった!たまたまそれを知ってすっかり醒めちゃった」という話。
それを聞いた源氏はどっちもイマイチな感じだな・・・と思う。まあそりゃあそうですよね。今でもイマイチだと思うよ

次に頭中将のコイバナです。
「ごく内緒であってた女がいました。最初は長く続くと思っていなかったんだけど、ちょっとほうっておいても優しくしてくれるし、親もなく、心細かったのであろう。私を頼りにしていいよ、と言っていた人です。女はおっとりしていて、心が落ち着く人だったが、ある日正妻が彼女にひどい事を言ってしまった。子までなしたのに。思い悩んだのであろう。ある日撫子の花を手折って歌を送ってきた。
『山がつの垣ほ荒るとも折々に
あはれはかけよ撫子の露』
撫子は娘のことですね。垣根が荒れているのは私のことはいいから、娘にはあわれを、という歌ですね。
そこで会いに行ってみると、なんだかんだで私のことを信じ切っている様子で、もの思わし気な顔で露を眺めていて、やっぱり素敵だなと思っていたけど、やっぱりしばらく放置してしまった。ある日尋ねてみたら、もういなくなっていた。あの人をもっと大事にすればよかった。
「かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今もえこそ聞きつけはべらね。」
まだ生きていたら、はかない世の中をさすらっているであろう。あわれだと思うけれど、あのときもっとしつこくしていてくれたらこんなふうにしなかったのに、と後悔している。というかんじですね。あの撫子の人が懐かしく、惜しい。
という。話しながら頭中将は泣いちゃうのでした。

そしてもう一人、式部の丞のお話。
式部の丞は大学に行って文章生だったらしく、そのころのお話です。「そのころ、賢い女にあった。そんじょそこらの文章博士なんてかなわないほど。(ってこれ、めちゃくちゃ優秀すぎる!!)わたしに漢学の知識や、詩作まで教えてくれるすごい人だった。しかし、妻にするにはあまりに才気走っていて、失敗したら詰められる!と思うと自然に疎遠になってしまった。
ある日行ってみたら、几帳を立てて対応する。冷たいなと思ったら、体調が悪くて昼間ニンニクを食べたからだという。来るってわかってたのに、一切風流がない女だった。」みたいな話をします。
学のある女とは紫式部のことではないですか~
「男でも女でも教養のない人間は自分の知識をすべてひけらかそうとする。三史五経を学んでいる女はかわいげがないが、かわいげがないからといってなんなんだ。世の中のことをあえて知らなくていいのだろうか。学ぼうと思えば無理せず学べるんだ。別に習わなくても知識教養は得られるものだ。」とか紫式部はマジ優秀だったんだな、と思いましたよ。普通の人はそれをめちゃくちゃ血眼で勉強しているのですのよ!!「とはいえ、漢字をさらさら書いて半分以上漢字の手紙とかちょっと、引くよね。結構身分の高い人でもこういうのいるよね。知識ひけらかし系。たとえば和歌に詳しいからと言って、昔の和歌の引用ばっかりしてたらカッコ悪いのと一緒。新古今集頃の作者たちはちょっと耳が痛いね。
三史は『史記』『漢書』『後漢書』。五経は、『詩経』『礼記』『春秋』『周易『尚書』をいう。当時の大学の標準的な教科のことです。源氏はこの話を聞きながら自分の知っている「なんでも知っているけど、決してその知識をひけらかさない人」を思い出していたのでした。
そんな話をしていたら夜があけましたとさ。
続きは次回!

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