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つれづれ!『光る君へ』第10回

こんにちは!どうも。
いろいろ遅くてすみません!!これから五月雨で追いつきますよ!!

いやはや、花山天皇出家いたしましたね。
①花山天皇の出家など
寛和の変が起きましたね。今回のドラマでは安倍晴明がかなり策略に関わっていました。『大鏡』をベースに兼家の策略(そういえば最後のパパの高笑い、ヤバかったですね。)にはまって出家コースでした。花山天皇の出家と道長まひろのラブロマンスに挟まれて、なんか感情が変になりましたよね。
「すれ違い」ではなかったのか!と思ったけど、この日の二人の感情はとてもすれ違っていましたね。和歌に漢詩を返す話については②で。
花山天皇が春宮になったのはまだ赤ちゃんの時。生後10か月のことでした。生後10か月で立太子したのはもちろん外戚に権力があったから。このころの天皇たちはどうみても「権力のバランス」を取るのに四苦八苦していたイメージで、そこでいうと円融天皇が詮子を中宮にしなかったのも愛情云々(も、もちろんあるとはおもうけど)というよりは、右大臣になった兼家に権力が集中しないためだったと言われています。
赤ちゃん春宮が天皇になったのは17歳の時で、そのころには自分を春宮にごり押しした藤原伊尹は亡くなっていて、子の義懐しかいなかった…しかも義懐自身は伊尹の三男であり、(つまり、まだ出世するまえに父と兄たちがなくなってしまった。結果藤原長者(一族の長)は伊尹の弟の兼道にうつった)鳴かず飛ばずの貴族生活だったわけで。そんな天皇を支える重責を一人で(あと乳兄弟の藤原と)担ったわけで、それはなんも決まらない。
当時の記録を調べると、なんだか兼家とか(のちのち道長も)なんか不満があると(例えば、自分の思ったような人事を天皇がしてくんない、とか)すぐ出仕をやめちゃうんですよね。
元・社畜としては「しんじらんない」
仕事はちゃんとしろ。

②和歌と漢詩の雨夜の品定めふたたび
道長が和歌を送り、まひろが漢詩で返す。
ええと、あちこちで出ておりましたが、道長の和歌は古今和歌集から。通常は自力で(もしくは和歌を詠むのが得意な女房などに詠ませる感じで)オリジナル和歌を贈るんだと思いますが、今回のドラマでは古今和歌集から、ってこと。多分、あとから調べる私たちのような人間のことを考えておりますよね。。
最初の和歌は
「思ふには 忍ることぞ 負けにける 色には出いでじと 思ひしものを」
詠み人知らずの歌です。(忍んでいようと思ったけれど、耐えきれない!恋のハジマリの歌です)
2回目の歌は
「死ぬる命 生きもやすると 試みに 玉の緒ばかり 逢あはむと言はなむ」(あなたにあえなくて死にそうなこの命なので、試しに会いたいと言って欲しい。)
藤原興風の歌恋に恋する燃え上がっているところですね。
そして3通目が
「命やは 何ぞは露の あだものを 逢ふにし換かへば 惜しからなくに」
こちらは紀友則の歌で、(命なんてなんぼのもんじゃ!会えるのだったら惜しくない!!)という歌ですね。
古今集だけでなく、こういった勅撰和歌集に恋の歌はすごくたくさんあって、恋の始まり~別れまでを順番に並べてあるものなんですが、この歌はすべて古今集から取ったもので恋の巻二(ってことは恋が始まって盛り上がって、最後はもう我慢できない!という心の動きよ!)の歌を順番に書いている、という趣向になっています。この歌が恋の歌のどのあたりに描かれているか、というのがわかると、その歌を選んだ人物がどのような精神状況なのかわかるという、ただ歌を詠み気持ちを贈るだけではなく、その描かれた場面がこんな感じなんだよ!だったら…という含みまでもたせているわけですね。
それに対してまひろは漢詩を返しています。ここで描かれた漢詩は陶淵明のもので、白居易と並んで日本の朝廷でもてはやされた作家の歌です。
「帰去来の辞」という詩の一節です。
「既に自ら心を以もって形の役と為す
なんぞ惆悵(ちゅうちょう)として独り悲しまん」
今まで心を身の奴隷にしていた。もう一人では悩まない
「已往の諫められざるを悟さとり
来者の追ふべきを知る」
過去は訂正できない。未来を生きるんだ。
そして最後
「実に途に迷ふこと其未だ遠からず
今の是にして昨の非ひなるを覚さとる」
道を迷ったが、まだ大丈夫、今が正しく昨日までが間違っていた!
という感じですね。
で、この和歌に漢詩を返す女、というのは『源氏物語』の帚木の巻の雨夜の品定めで源氏の同僚、式部の丞という男のエピソードとしてあるのです。
女だが、ひらがなが一つもない返事を書く(気まずい)
教養が高く、自分が何か言ってもすぐ「それは違うよ!」と言い返してきて、詩の作り方を教えてくれたり、とても勉強にはなったのだが、いつまでも頭が上がらず、風流を解せず自分のコンプレックスが刺激されて足が遠のいた。

と言っています。
まひろ…。

さて、道長は和歌に漢詩を返してくる意味について公任に問いかけます。
「和歌は心を読み、詩は志を歌う」と答えますが、これは仮名序からの言葉ですね。
紀貫之は仮名序に
「やまとうたはひとの心を糧として、よろずの言の葉とぞなれにける」と記しました。
さてさて、よりよき政をなすべき人…に道長はなるのでしょうか。

では第十回のつれづれ話は終わります。

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