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つれづれ!『光る君へ』26話いけにえの姫

地震と日蝕が重なります。
いろんな意味でXデーは近いですねえええ。

ドラマの中の道長は民を憂いていて、まひろも民草にあれこれしている。例の友だちの影響か…とはいえ、今時の感覚持っておりますのね!おふたりだけソウルメイトってわけですね。
「気の流れをただす」という道長。
「正統性こそが至高」というのは『源氏物語』にも通じる思考で。
だからこそ、江戸時代も嫁入り道具に『源氏』が描かれまくり、源氏箪笥なんていう本を全巻納めるものも出てくるんですよね。

どんなところが「正統性」かというと、そもそも『源氏物語』は「罪と罰と贖罪」の物語なわけで、乱れた王朝をただす!といったことでもあり、(例えば桐壺帝と桐壺更衣で乱れた世を直す、といった感じ。)
『源氏物語』の中には物語論とか文字論とか絵物語論もありますが、光源氏が評価するのはいつだって、「昔ながらの正統性があるもの」になります。
わかりやすいはなしでいうと、「絵合」という巻があり、その中で藤壺院を審査委員長にする源氏(梅壺女御)と頭中将(左大臣家・弘徽殿女御)による絵物語バトルをすうるんですけれども、その時に源氏が持ってきたのは『竹取物語』『伊勢物語』といった歴史と伝統に基づいた名作です。いっぽう頭中将が持ってくるのは最新の華やかで、きらびやかな作品。
どっちも素晴らしかったけど、最期は源氏が描いた須磨が素晴らしいといってみんなで泣いて終わるっていう・・・え?ぐだぐだ?みたいな感じなんですけどね。
こういった、「むかしながらのいいもの」VS「あたらしくはなやかだけど、それだけ」みたいな対決構図があって、結局まあ、「むかしながらのいいもの」が勝つっていうね。

さて、話を戻しましょう。すごく入内を嫌がる道長&倫子ですが、たぶん当時そんな考えはなかったんじゃないかなあ、とは思います。
中宮は帝を操っている!!と言っていましたが、なにせ当時の貴族は一条天皇と定子を「玄宗皇帝と楊貴妃」になぞらえてた、っていうか倫子も実資もそんなふうに言ってましたね。
ていうか、なんならいまでもそういう言われ方するよな。
魔性の女だの、男をだめにするだの…1000年経ってもかわんねえな、って思いますよね。

行成は推し(道長)を推し続けますけれど、一条天皇推し(枕草子的には)でもあるので、挟まれてるなあ、と思いますけれど、どうなんだろう。
年末年始に中宮を呼びつけ、結果妊娠したという記述は、『枕草子』の中ですごく詳しく書いてありますね。
以前「つれづれ!」の中でも語っていますが、
「庭に雪山を作る(12月中旬)⇒いつまで雪山が残っているか勝負をする(定子と少納言)⇒年末宿下がりしている間も気になる(その間定子は帝に呼ばれている)⇒年始もずっと内裏にいる…ということが詳細に書かれてあって、定子の第二子、一条天皇の長男である!!!」
ということを熱く、熱く『枕草子』で語っていますね。ちなみに、当時において、天皇の長男で、春宮になってない人はいなかった…はず。正統性大事…って言ってんのおまえらやろ!!という少納言の声が聞こえそう!!

ドラマの中では「中宮の非常識!!!」という文脈で語られていましたが。
中宮、自分から誘うこともできないし、断ることもできないんだからしょうがないじゃんね、と思いつつも、この「中宮?なんでも叩いていい感じ」っていうのが見ていてつらいわ。
私たちってなんで「この人は叩いていい」という同意形成がされるんですかね。1000年前もおんなじこと、してるじゃん。
中宮かそれ以外、って感じですよね!!!
ぷんすか。

と、『枕草紙』読者としてはむしゃくしゃしちゃうんですけど、この「中関白家を推しちゃう」感じというのは、過去の『枕草子』研究者のみなさんがそう思っているらしく、ちょっと前に読んだ昭和前期の論文でも「左大臣(道長)ヒドイ!!中関白家、最高!!」みたいに推しすぎてて、感情があふれてくる、という状態になってます。
論文でそれはいかがかと!!と思いますが、人間だもの。しょうがないよね。

ドラマ内では倫子が覚悟を決めたことで彰子の入内がトントン拍子にすすんでいきますね。

まひろパートでは
宣孝がまひろの歌をほかの女に自慢して怒られる話がありましたが、これは紫式部集にありますね。一応、越前に行く前説と帰ってきてから説があります。越前前説だと、このもめごとがあったから越前に行ったんだな、と言われています。

宣孝
東風に解くるばかりを底見ゆる石間の水は絶えば絶えなむ
(絶えば絶えなむ、ということですから、絶えるなら絶えてしまえばいいよね!!怒)といううた。
紫式部
言ひ絶えばさこそは絶えめなにかそのみはらの池をつつみしもせむ
(絶えるなら絶えてしまえばいい。どうせ腹立っているんだし)

怒りに煽りで返す紫式部。こわい子…!

そして、灰を投げるくだりは、『源氏物語』から黒髭大将と北の方の話ですね。髭黒大将という人が源氏の養女(的位置づけ)であって、当時一緒に六条院に住んでいた玉鬘に通っていました。そのために北の方(ようするに妻)が髭黒の服に香をたきしめていたんです。北の方が!。あんまりうきうきわくわく準備しているもので、北の方はいらっとして香りをたきしめていた香炉を投げつける!という話です。

まひろ、なんで香炉じゃなくて火鉢の灰にしたの…全然ちがうよ!!!(涙)

そして、石山寺に行って道長に会っちゃうと…あーあ。
ではまた!

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