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公共の電波のパーテーションを開けて見えたもの(後編)

今回は、実際に私が発信したいこと、について書こうと思います。

私が住う自治体では、来年の4月からパートナーシップ制度が施行される予定となっています。
婚姻とは異なりますが、住う自治体内では該当する2人パートナーとして認められる訳です。

しかしながら、もしも転居をし、パートナーシップ制度が施行されていない自治体に住むことになった場合、その効力は失われてしまう、という摩訶不思議な制度だったりもします。
(自治体によっては、転居先においても有効なままの所もあります。)

「2人の関係性は変わらないのに、公的には転居しただけで、宣誓は無効になりかねないっていったいどういうこと??」

と、ツッコミを入れたくなります。
即ち、パートナーシップ制度を隔てる見えざる国境が日本国内には沢山あるわけなのです。

とはいえ、同性婚への第1歩でもあり、草の根での署名運動などにより踏み出された制度であることは付記します。

さて、私と恋人(同性)は、2人ともパートナーシップ制度の宣誓をしたいと考えています。
ただ、私はふと立ち止まってしまったのです。 

2人のこと、とはいえ、2人だけのこと、でよいのか??、と。

私は、実は両親にカミングアウトはしています。
悩みに悩んだ末、手紙にその旨を書いた時のことは、忘れられません。
その時から紆余曲折を経て、少し長い年月が経った今、私はたまにLINEで両親と話をするくらいにはなりました。
両親曰く、「まだ相手が同性であることを受け止めることはできないけれど、あなたの意志は伝わっている」といった思いの様です。

自分で言うのもなんですが、箱入り娘で有名だったらしい私が、家を飛び出してしばし音信不通になったことは、両親にとっても衝撃であったことは、想像に難くありません。

私自身、胸中複雑ではないか、といえば嘘になります。
今、この春に向けて、雪解けをすぐに求めるつもりはありませんが、芽吹きがあるといいな、と考えています。

身の上話ばかりになってしまいましたが、上述の話は、私の一側面のことに過ぎません。

あくまで人は多面体の生きものだと、私は思っています。

「即ち、多様性は自分の中に介在する、と。」


多様性、ダイバーシティ。

この様な言葉を耳にする機会がここ数年で本当に増えました。
これらの言葉の後には大概、「認め合いましょいましょう」「受け入れましょう」といった文言がつくことが多いと思いませんか? 

たしかに、互いの違いや、いわゆるマイノリティに対しての理解を深める流れは悪いことだとは決して思いません。

しかしながら、ひとりひとりが内在する多様性の中の、社会的にわかりやすいマイノリティ要素にスポットを当てて、発信をすればするほど、自分の中の一側面が全体像の様に受け取られたり、その時点で特別な個、として捉えられることとイコールに感じられるのです。
私でいえば、「性的少数者」にスポットを当てることだったりします。

一側面が全体像の様に捉えられる。


これこそが、多様性という言葉が持つ重さでもあり、ともすれば辛さというか、孤独が深まることにも繋がってしまうファクターです。。。
私にはその重さが発信へのためらいを生んでしまうことになりました。いまでも矛盾が内在しています。

けれど、「一生活者の自分」と、「当事者である自分」との葛藤に対して、寛容に構えることは前述の重さとほどよく付き合う一つの術なのかもしれません。
そうすれば、側面に捉われない発信をすることもできるのかな、とも思っています。

例えば、今後、多様性という言葉が頭をよぎったり、口にする時に、一歩立ち止まって、言葉や概念を噛み砕くプロセスを持ってみてはいかがでしょうか? 
脊髄反射は身体に応えます故。。。

改めて、今回のまさかのjamtheworld出演、という発信の機会をいただけたこと、本当に感謝しています。堀潤さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。

最後に、公共の電波が市民発信の拠り所となる未来が訪れることを願っています。
市民の1人であることも忘れずにいたいです。


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#公共の電波 #ラジオ #パートナーシップ  










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