"Black Lives Matter"の日本語訳をきっかけに問題の「本質」を考えてみる③

引っ越したばかりで
バタバタしてだいぶ間が
空いてしまいまいたが…
前回の続きで、
シリーズ最終回です。

前回の記事の中では

"黒人差別反対!"

と訴えれば訴えるほど
なんだか"それ"から
遠ざかるような気がしてしまう

と書いた。

そこからまた新たな疑問が
自分の心の中に浮かんだ。

じゃあ、私はデモなどをして
声をあげる人たちに対して
「反対」なんだろうか、、、?

うーん、そういうことでもない。

社会の歪みに対して、
泣き寝入りしたり
不平不満を言い続けてるより、

問題提起し、行動することは
むしろ素晴らしいとさえ思う。

今回の黒人差別の件だけでなく、
香港のデモの様子を見たときも、
その人々のパッションに驚いた。

若い世代も、社会や政治に
真剣に向き合い、結束し、
行動を起こしていた。

大規模なデモではなくとも、
海外では、賃金引き上げの
ストライキで公共機関が止まったり
遅延したりすることも日常的な
光景だという話もよく聞く。

日本は平和すぎて、私たちは
平和ボケしてしまってるんだろうか。

デモやストライキをして、きちんと
「声をあげる」「アクションを起こす」
人たちを、少しは見習ってもいいくらいだ。


それなのに、冒頭に書いたような
違和感があるのはなぜなんだろう?


しばらく考えた。

そうだ。

きっと暴力的、攻撃的な感じが
「違う」と感じるのかもしれない。

声をあげることは大事だけれど、
それを暴力的な、破壊的な行動や
モラルのない言葉遣いなどで批判して
訴えることが、心苦しいのだ。

ガンジーのように、
静かに燃えるように
闘う感じが、理想だ。

「差別をなくそう!」
と吠え続けるのは簡単だ。

なくそう、と言われて
なくなるものなら
とっくになくなってる
はずである。

だから私は表面的ではなく
根本的な、内面的な
アプローチを求めているのだ。

きっとこういう世界で
起きている問題には

政治的な、経済的な、
歴史的な、ときに陰謀論的な
いろいろが絡み合っていて

個人ひとりひとりの力では
どうにもならないことも多いので
これから言うことは理想論に
なってしまうかもしれないけれど、

せめて、メディアに洗脳されず
自分の目と耳と頭を使って、

何が一番大切かを考えられる
「地球市民」のひとりでありたい。

「●●人」とか、
肌の色とか関係なく、

ただただ、「その人」と友達になりたい。

お互いの国のことを知って
良いところは真似し合って
違うところは楽しんで、
尊敬し合える

これも、口で言うのは簡単だけどね。

その理想に少しでも近づくための
ひとつのアクションとして

私は英語を学び、また、
人にも英語を教えることが
私に今できることかな、と思う。

英語はただ意思疎通をするための
手段ではなく、色んな国の人と
繋がるための「鍵」だと信じている。

また、母国語や母国、自分自身の
アイデンティティを映す「鏡」で、
考えさせられる機会をくれる。

今回の記事のシリーズ3回は
"Blacki Lives Matter"の
「黒人の命"も"大切だ」
という日本語訳に違和感を
持ったことから始まったように。

最後はとっても抽象的な終わり方
になってしまったけど、
このとてもセンシティヴな
問題について、とにかく
アウトプットすることが
できたことが、私なりの収穫です。

みなさんがBlack Lives Matterや
差別問題について感じたこと、
考えていることがあればぜひ
引き続きコメントで教えてくださいね!


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