母歴1年の感想
先日娘がめでたく1歳の誕生日を迎えた。
子どもというものを1年育てて、感じた事を忘れないように記録しておこうと思う。
この1年、子ども自身が育とうとする力に圧倒されっぱなしだった。
誰に教わるわけでもなく
体を動かし、
寝返りを打とうとし、
ずり這いしたくて泣き喚き、
座り、
ハイハイし、
立ち、歩く
指先を使おうとしたり、
穴にボールを入れてみたり、絵本をめくったり、指さして意思を示したりする。
最近は大人の真似をして、
ブラシで髪をといたり、
ハンカチで床を拭いたり、
鍋つかみを手にはめて喜んでいる
(実際は髪ぐしゃぐしゃだし、床は何も溢れてないとこ拭いてるw)
言葉は「ママ」「パパ」「ああーと(ありがとう)」「どーじょ(どうぞ)」に続き、
最近なぜか言えるようになった
「タオル」(なぜ?)
子どもには育つ力があるという信念のもと、
「教えない」「助けない」
は心がけていた。
(でも「ちょうだい→ありがとう→どうぞ」の無限ループはやってました。ノリノリな娘がかわいくってやめられなかったw)
うつ伏せ練習もろくにしなかったし、
お座り練習も1回もしなかったと思う。
でも自力で座った。
そして自力で座れる頃には十分筋肉が発達していたからか、あまり転ぶこともなかった。
ずり這いができない時に、
転がったおもちゃを取りたくて、泣き喚いてた時は
側で「おもちゃいっちゃったねー。欲しいねー。悔しいねー」と背中をさすりながら声をかけていたけれど、
代わりに取ってあげることはしなかったんじゃないかな。
おかげで生後4ヶ月頃は1日中泣き喚いてた気がする(ある意味苦行w)
どうするんだろうなと思っていたけれど、
娘は諦めなかった。
すごいな。
寝返りから2、3週間くらいでずり這いができるようになってしまった。
娘の成長を邪魔しないように。
でも娘のペースでいい。(色々できるようになると部屋の環境整備めんどくさいし)しかしその「娘のペース」とやらが思いのほかはやかった。
自分を発達させることに余念がない娘。
私から見ると「練習」や「努力」に見えることをせっせせっせとやっている。
子どもってすごいな。
練習とも努力とも思ってないんだろうな。
本人の意思を見つけたら、
私も娘が思う存分動けるように環境を用意する。
「子どもを育てる」なんて表現がおこがましく感じてしまう。
「子どもが育つのをサポートさせてもらってる」という方がしっくりくるくらい、
子ども自身の成長する力がすごい。
娘が生まれる前は、
「子どもが生まれたらこんなことを教えなくちゃ、あんなことも教えなくちゃ」と思ってた。
感情を言葉にする力とか、
コツコツ努力する力とか、
あいさつができるとか、
そういうことが大事だと思ってた気がする。
でも実際生まれたら、
「そういうの、別にいいや」
と思うようになった。
よく言われることだけど、私も世の中の多くの母と同じように
「元気でいてくれたら良い」
と思うようになった。
すっかり欲がなくなってしまったように感じる。
本人が
感情を言葉にしたいと思った時、
コツコツ努力ができたら良いのにと思った時、
あいさつができると素敵だなと思った時、
その時にまた考えたり、サポートすれば良いかって思うようになった。
娘の人生だ。
私が先取りすることじゃない。
これが保育園とか幼稚園、小学校に入って
子どもを比べる機会が増えたり、
先生から「評価」を受けるとまた変わってくるのかな。
「あれができて欲しい」「これができて欲しい」って、欲が出てくるのかな。
将来の自分がちょっと怖い。
娘の1歳の誕生日の夜、
「18歳の娘」宛ての手紙を書いた。
生まれてきてくれて、育ってくれてありがとう、
かわいくてかわいくて仕方がない、
将来の自分がどんな母になっているかはわからないけど、今はとにかく元気でいてくれたらそれで良いと思っている、
いつでも娘の幸せを願ってる、
愛してるよ
っていう内容を書いといた。
夫も18歳の娘宛てに手紙を書いてたけど、なんて書いたんだろ。
とりあえず、母歴1年の感想はこんな感じ。
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