見出し画像

76 仕事より生活を

社会人になり何年か経ち、音楽家としてそれなりに現場を持てるようになってきた。現役の音大生からよく進路相談をされることが増えた。みんな聞いてくるのは同じで、どうやって生活してますか、どうやったら仕事が得られるかについてが、関心の的だった。何かわかりやすい形で現役学生に、私の生活の仕組みを伝える必要があった。

もともと私は、音楽家が音楽の仕事だけをすることを美しいと思う側面、狭い世界でしか生きられないことに違和感と危機感を持っていた。人生楽器の練習と本番だけで終わってしまうのは惜しいと思っていたのだ。

一例に過ぎないが、私のビジネスモデルを音大生に対してこう語っていた。私は自分のライフスタイルを四輪車に例えて、それぞれの車輪に意味がある。今だったら、音楽、大学助手、ITの仕事そして空き車輪ひとつだ。どれも優劣はなく同時に走るようにできている。そして空き車輪はいつも新しい情報が入ってくるようにわざとからにしておく。そしてそれぞれは雪だるま式に膨らんでいくがたまにバランスが悪くなる。そんな時は、その車輪を変えるかもしくは周りの車輪のサイズを大きくなったものに合わせる。走行している車をドライブしているのは私なので、いつでも止まることが可能な状態である。

四つの車輪選びにも少しだけルールがある。自分が興味を持てることであること、車輪同士が互いに影響し合うものであること。どちらかの車輪が急になくなってもある程度、生活が担保できるものであること。今よりももっと条件のいい仕事を見つけたら、迷わず飛び込むこと。こうやって生活を回していた。

音楽大学生にとってこのスタイルの働き方はとても新鮮だったらしい。ただこのモデルには限界があった。体力や気力が相当必要だということだ。頑張れば頑張るほど、結果はついてくるが、だんだん高くなる期待値に私は、自分を犠牲にしてしまった。一人の生活者としての実感が全くなくなってしまっていた。

求められることは嬉しいけれど、一人でこなすだけのキャパは限界があった。そんなに私は器用ではない。これ以上期待に答えるために、自分を犠牲にして、人に頼ることをしていなければあと少しで、破綻するところだった。スケジュールが埋まらないことは恐怖だったけれど、埋まっていくことで未来が固まってしまうのではないかという恐怖が生まれるようにもなった。本番がたくさんあってもう疲れたなんていう売れっ子の憂鬱は誰も聞いてくれない。それはただの自慢話になってしまう。それに加えて選択肢がふえたとき、いくら良い条件だからといって全て合理で判断するほど、自分をドライにして、判断ができないことにも気づいた。

感情を押し殺してまで合理的なって判断する必要は、生命の危機に関わらなければ、私にはないと思った。ステージに立ち続けることは、それ相当の体力とエネルギーがいること。その前に、一人の生活者として、の生活があることの前提を崩してはいけない。本番で音楽ができることは人生のおまけ程度にして、幸せは、寝るとか、食べるとか、そうゆう絶対達成できるレベルのことにしておきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?