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97 マスクの集団生活しかしたことない幼稚園児たち

今日は朝早く起きて、千葉の実家から七時台の電車にのって、アウトリーチ公演に向かった。寒いし、すごい眠い。つい最近までかわいいを優先して、デザインがかわいい魔女になれるロングのコートを着ていたが肩が凝るので、ユニクロのダウンに変えたらなんと楽なことか。おしゃれより機能性が勝つ。それにしても8:30集合、9:30開演はなかなかはやい。幼稚園公演だからしかたない、とか思いながら電車でうとうと。 

今日の演目は、ねずみの兄妹の家に遊びに来た子どもたちと共に、チーズパーティーを開くために必要なチーズを、様々な部屋に探しに行く物語だ。ねずみのコミカルな感じと、ポンコツでどうしようもない感じの役柄がポイントで、常に頭の中で、効果音と漫画のよくあるビジュアルエフェクト的なものをくっつけて喋っている。

役のことはさておき、この日出会った子どもたちは、四才、五才でマスクをした社会生活しかしたことがない子ども達だった。こどもはどこへいっても変わらない、愛らしい存在だと思いたいところだが、今日は特に明らかなマスク生活の弊害を感じてしまった。政府がようやく第五類に引き下げの検討をしている中、あるいみこんな状況のこどもたちがいたことの記録はどこかに残しておきたいと思ったので、思い出せる限り書く。

今日伺った幼稚園は二年保育の幼稚園だ。私自身も二年保育で育ったが、今は、共働きの家庭が増えて早くから幼稚園、保育園に行く子が増えているので、一年保育はもう主流じゃないらしい。子どもたちの様子はこうだった。声を出すことを制限されていたせいかこんにちはと声をかけてもこんにちはとかえってこない。一番簡単なコールアンドレスポンスをしてもなかなか難しい。そして何よりマスクをしているせいか表情が乏しかった。これは明らかにコロナそしてマスクのせいで感情が劣化してしまっているのではないかと思わざるを得なかった。

一月のこの時期にしては年齢に対して幼い印象を持ってしまった。違和感を感じながらも本番も終えて先生に話を伺ってみた。やはりコロナ前と比べると、一歳くらい発達が遅れているような雰囲気のようだ。マスクがもたらす影響は相当大きい。来年度から小学校に行く子どもたちはそんな思いをモヤモヤと抱えながら家に帰った。大丈夫なのだろうかと、一年前の私は思っていた。

コロナ明け、他にもたくさんの幼稚園生に出会った。そこでも同じようなことを感じたし、先生からもそうゆう話をたくさん聞いた。私は、そのことが悲しすぎて、こんな状態のときに、ワークショップ外から持ち込んでもよいのだろうかと思ってしまい。本番中に変な脱力をして、子ども達と関わろうとする気持ちをストップしてしまった。子ども達の背景や、先生と親、先生と子の関係性への想像が止まらなくなってしまって、無力感を感じていた。

私が対応できる問題ではないけれど、想像してしまうことにものすごく罪悪感があった。全ての問題を私が引き受けることはできない。それでも考えてしまうことに、自分の頭の中でストップをかけなければならなかった。

見なくてもよいものまで、見ようとしていた。私とその幼稚園生の世界は違う。きっとものの見え方は違う。今大事なのは、目の前にいる幼稚園生を笑顔にすることが大事なのだから、そのとき、みなくていいものは、みないように、解像度の違うメガネを使いたい。それは突き放すことではなく、優しさだと信じたい。


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