野良猫になつかれたような光栄さ

彼とまた会って、たくさん話した。
彼の仕事が融通がきく時期なので、会えるうちに会おうということで、よく会っている。

話した中で、一つ懸案事項があって、彼が他の女性とカラオケに行く約束をしているとのこと。「黙っているのも嫌だから言うけど」と教えてくれた。

私が「なんか心配」と思わず口に出すと、
「大丈夫、音楽の話をした流れで行くだけだから」と、少し嬉しそうになだめてくれた。
これは心配されて喜んでいるな。

彼の心変わりを私が心配していると彼は思っただろうけれど、私の心配はそこではなかった。

私と同じぐらい仲の良い女の人が彼にできたら、私は彼のことが嫌になってくるかもしれない。彼が好きなようにすればいいことなのに、少しそんな気がした。そして、言った。

「でも、私が嫌になるかも」と。

彼は「それはない」と言い切る。 

なぜ、私のことなのに言い切るの?と思ったら、彼は「彼が私のことを嫌になる」と言われたと思っている様子。言葉って、むずかしい。

そういう意味ではなくて私があなたを嫌になるかも、と言いたかった。
でも、彼は
「他の人と会っても、俺がエマさんを嫌になることはない」
と話してたから、嬉しいことだったし、そのまま聞いた。

きっぱりと迷うことなく「嫌になることはない」と言ってくれたので、それはすごく嬉しかった。

彼は、私の気持ちが変わるなんて少しも思っていないんだな。その疑うことすらない様子に心打たれた。同時に、油断してる、とも思った。

もし言いたくなったら、
「他の女性ができたら、私の方が〇〇さん(彼)を嫌になってしまうかもしれない」
と伝わるように言い直すかもしれない。

でも、たまたま伝えなくてすんだし、このまま伝えないままでいいかな。

女性とのカラオケが心配ということは彼にもしっかり伝わっていたから、それで十分な気がする。

「あなたを嫌になるかも」なんて、脅迫めいたことはやはり言いたくない。その時はその時。そうなったら言えばいいことだ。彼には自由にしてもらって、それでも私との関係が続けば、本当に縁があるということなんだと思う。

ずっと私の方が彼に片想い、という感じがあったけれど、このときは私が「いつまでも両想いだと信じている彼」のことを冷静に見ていた。いつのまにか、彼と自分が両想いだと思えているのが感慨深い。本当のところはわからないけれど。

ここで、もう少し掘り下げてみると、人の気持ちは変わるのが大前提だと私は思っているけれど、彼はそんな前提のさらに先にいるのかもしれない。

自分でも「先の先を考える」と言っていたし、私より若いけど40代だし、当然の摂理に気づかないわけがない。

警戒心で人を見て、それをくぐり抜けてできた関係は信じる、ということなのだろうか。気持ちが変わるものとわかったうえで、私への気持ちは変わらないと言ってくれているのかもしれない。

私がもし彼のことが嫌になったら、彼が平気で受け入れるか、傷つくかわからない。きっと両方のような気がする。彼が傷つくことは、想像するのもつらい。

安易に「私が彼を嫌になるかも」なんて言っている場合ではなかったかも。その一言から、彼との関係は壊れていきそうな気もする。

彼に「私たちが終わるのって、どんな時なのかな どう終わるんだろう?」と問いかけてみたら「終わることはないと思う」と即答してくれた。

そう言われたら、もちろんそれに乗っかりたい。疑う様子が全然ないから、そっちが正解かな、という気になってくる。彼は前に「寂しい」と言ってたから、どうなるかなんてわからないうえでの願望なのだろうと思う。

あれだけ警戒心が強いと言っていた彼が変わってきている。お得意の洞察力で私のことを見たうえで、心を許してくれたのかな。

野良猫になつかれたような光栄さを感じる。

もちろん私は、なついてくれた彼のことずっと大切にしたい。彼に新しいお相手ができた場合は、その限りではないけれど。

彼の前では、自分を盛ることも卑下することもないようにして、本当のことだけ言うようにして、あとはどうなってもいいと思っていたら、いつのまにか心を開いてもらえてたみたい。

とはいっても、他の女の人とカラオケに行く彼だから、本当に野良猫みたいに自由だな。

この文章を書いているうちに、カラオケなんて好きに行けばいいよ、と思えてきたし、彼と一緒に「(私たちは)終わることはない」と思っていたくなった。

今日の内容には、不倫の要素が入っていなかったけれど、私が既婚、彼が独身で、私は不倫をしている身。人には言えない関係で、何言ってんだか、という気持ちは常にもっている。

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