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目が覚めて涙が出た。気づいた満たされぬ想いとは

 20代の時に亡くなった父の夢を久しぶりに見た。

 昔、父は浅草の靴屋で働いていたこともあり、なぜか父が浅草に自分の靴店を営んでいる設定。

お店に会いにいくと「兄を店長にすることにした」という報告を受ける夢であった。
その時の父の顔と言ったら、嬉しさを恥ずかしさで隠すように、とても満足気な顔をしていた。

わたしはそれを聞いて、そんなに嬉しそうな顔をして良かったね…という喜ばしい気持ち8割と残り2割には寂しさがあった。

夢でもそうだけど、父はいつも兄に厳しく又、いつも兄に与えようとしていた。(ここでいう"いつも◯◯してくれなかった"という言葉は被害妄想の常套句だ。たぶんそう思わせるには充分な数回があったんだと思う。ここでは敢えてその言葉を使った。)

わたしにはそれが羨ましかった。
まるで私のことは眼中にないかのようで…。

私は夢から覚めた後、想像した。
「本当はもっとわたしのことを一番期待してくれて一番認めて欲しかったんだよ」と伝えてハグをするところを。

そしたら自然と涙が溢れ出た。

確かに。私には今でもだれか尊敬できる男性に「期待されて認められたい」という渇望がある。それは"承認欲求"というような広くだれでも良いものではなく、敬愛するだれかひとりにだ。

父は私のことをよく可愛がってくれた記憶はあるけど重要なところでは、何も与えてくれなかった。猫可愛がり。そんな言葉が相応しい。

もう中年期の自分に、この穴を埋めてあげたらどんなに満たされることだろう。

敬愛するだれかに期待されて認められる経験を。

そしてもっと頭が起きて覚醒してから、まだそんな子どもの時の想いを抱えていたのか!と呆れた。

人間は歳を重ねても結局なにも変わらないものだ。