人間関係の断捨離時期だと感じるとき

そういう時期ってあるんだなと思う。

今年に入って、仲良くしていた二人の人物との関係に疑問を持ち出した。

どちらも 昨年はほぼ毎日といっていいほど会話をし、家族のように振る舞っていたときもあった。
それは昨年より少し前からの関係で、私たちは楽しい時も辛い時も、一緒に何かを分かち合ってきたように思う。

誰にも言えないようなことも話したり
悩みを相談し合ったり、アドバイスしたり。

去年、自分にとって人生の変わる大きなことがたくさんあって
それに際してその二人とはたくさんの会話をしてきた。

このままではよくない、どうすればいいか、
悩んで苦しんで辛かった私に、大丈夫だと声をかけてくれたりした。

私も相手に同じようにしていた。
相手にとって自分が「役に立つ人間」であるように、
その信頼を裏切らないように。

その二人との関係は基本的に楽しいものだったから、
私もどこかで「今年はもっと楽しいことがあるのかな」と期待したりしていた。


でも、些かの不安を私が感じたのは「このままでいいのかな」だった。

それはなんとも言えない嫌な予感で、
私は相手に頼りすぎていないか、
相手は私に頼りすぎていないか、
お互いのよりかかり合い具合を考えたとき
「よくないんじゃないか」と思った。


決定的だったことは、ふたつ。
ひとりは、
相手の私への態度が変わったこと

そして、もうひとりは
相手が私への態度を変えなかったこと
だった。

それが私の中で「断捨離」という気持ちへ向けたのだと思う。



人間誰しも完璧ではない。
誰も、それを期待しすぎてはいけない。

でも、私は期待した相手に何度も忠告をしていた。
私自身にも、忠告をしていた。

それではよくない、と

それでは、うまくいかない…

妥協、折衷案、あいまいさ、なんとも言えない答えのない会話が続いたとき、
「この会話の持つ意味って何なんだろう」と素直に思った。


私たちはこれではもうどこへも行けないではないか。
どこへも成長していけないのではないか。

それは本来の私が一番嫌うことだった。
「自分の成長をとめてしまう可能性がある」
「自分の時間がなくなっていく」
「自分の心がわからなくなっていく」

そんなことを何度も繰り返して考えては
何度か言動を是正したこともあったが、結局は

私は 一緒にいるのは、嫌なんだ と叫ぶようになった。


一人は態度を変えた、私の期待を裏切る形で、お互いの価値観が違いすぎるということを理解させてくれた。はっきりと言葉で。
そして最後に、あいまいな言葉でその課題については打ち切りとなった。
本人としては納得できた答えなのかもしれない。
わたしはもう、話すことすら嫌だった。
そこから距離ができた。

一人は
「自分は変えられない」と言ったままだった。
自分のいたらないところ、でも自分の変えたいところをわかっているのに変えられない。
しかし、この人は「変えられないのではなく、変えたくないのだ」とわかった瞬間、私は突き放した言い方をしたことがある。
そこから距離ができた。


 きっかけは小さなことだと思う。
でも、その蓄積が私の限界を超えたのかなと思う。

二人とも
「今仲良くすることに意味なんかあるのかな?」と思ってしまった。



自分の時間と、労力は有限だ。
そして私の言葉も。

私といて、「為になる、勉強になる、楽しい」、は言われて嬉しい。

でも私はたまに
自分の大切な部分を相手に少しずつ
搾取されているような気持ちになることがあった。

「搾取」


よくない。

誰も悪くない、誰も互いを傷つけようとなんてしてないのに、
私のそんな醜い感情が湧き上がったのだった。


これはよくない。
さもなくば、私は相手を折れるまで叩いてしまうだろうと思ったから。


ふたりとも、本当に大好きだったから、嫌いになってしまいそうだった。
じゃあ、嫌いにならない位置まで距離を取らなければいけないと思った。


それは「さようなら」を意味している気もした。
それでも、相手を傷つける言葉の力を知っている自分としては必要な断捨離のような気がした。


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