雨上がりのベランダ

彼女はいつも泣いていた。涙は出なくても、心は泣いていた。

彼女は孤独だった。田舎には両親もいる。地元で就職した弟もいる。月一で女子会する友達もいる。ときどき飲みに行く男友だちもいる。でも、東京の片隅で、毎日片道1時間の通勤をして、仕事をこなし、ひとりで帰る毎日は孤独だった。飲みに行っても、結局はひとりで家に帰る。毎晩、夜にはひとり寂しく泣いた。

「孤独って、考えたことないなあ」バーのカウンターで、彼は言った。「ひとりでも、楽しいからかな」

2人で会うのは3ヶ月ぶりだった。いつも彼女から誘い、お店を決める。そのことも、彼女の寂しさを助長していた。

「ひとりで、何やってるの?」

「何って、それは言えないなあ〜。君はどうやって過ごしてるの?」

「ネット見たり、ラジオ聴いたり、本読んだり」

ふうん、と言いながら、3杯目の甘いカクテルをストローで飲み干す。男なのに、甘いお酒が好きなのだ。

「それ飲み終わったらさ、ウチに来る?」

彼女のハイボールを指差し、「コーヒー飲む?」くらいの感じで彼は言った。

「えっと」

明日は土曜日、と瞬時に彼女は思った。予定もない。だけど、彼と一晩をともにする覚悟はまだなかった。というより、しっかり考えたことがなかった。数人いる男性の飲み友達のひとり。恋人がいない今、心の安定を保つために必要な人というだけだった。

「なんで?」

思わず口から出てしまった。

「俺が作ってるもの、見せたほうがいいかなって」

作ってるもの? 彼女は思った。彼は「作ってる」と言った。彼は毎日、何かを作っているのだ。なぜか猛烈に、それを見たいと思った。

気がつけばタクシーに乗り、彼の自宅へ着いていた。まだ電車はあったが、雨が降っていたのだ。2人で割ればさほどでもないからと、タクシーを拾った。着いたのは綺麗なマンション。エレベーターに乗り、彼が行き先のボタンを押した。なんとなく、2人とも口数が少なくなっていた。

「玄関からいきなりだから」

彼は言った。何がいきなり? と彼女が思っている間にドアが開いた。中に入ると、下駄箱の上に建物や自然や人が乗っていた。

「これ、ミニチュア?」

「うんまあ、ジオラマ。知り合いに見せるの初めてだよ」

「自分で作ったの?」

「そうだよ、もちろん」

部屋の中に入ると、おびただしい量の「ジオラマ」が部屋を占領していた。地球のいたるところをランダムに切り取り、時を止めて小さくしてしまったように。壁にボードで棚が作られ、その上に所狭しと載っていた。専用の飾り棚もあった。

ヨーロッパの風景として見たことのあるような丘陵の街や、山の上にそびえ立つお城、縁側のある家と路面電車、背を競うように並び立つビル。彼女は声を失い、時間をかけてそれらに近づき、顔を寄せてじっくりと見ていた。

どれくらいたっただろうか。

「これ、今作ってるやつ」

なんてことのない、二階建ての家。狭い庭と、駐車場に黄色い車が一台。車には、男性が乗ろうとしているところだった。あるいは、降りたところだろうか。

「これもすごいね」

まじまじと彼女が見ていると、

「これが君」

彼は女性の人形を取り出し、門の前に置いた。

「あと、これがほら」

男性と女性の半分もない背丈。明らかに子どもだった。女性の隣に置かれた。

1年後、あのときの一戸建てのような家にはまだ住めないが、2人はジオラマだらけの部屋に一緒に住んでいた。ジオラマは、彼の情熱だった。彼は、雨ざらしの彼女の心に射し込む光だった。でももう、彼女の心は泣いていなかった。雨は止んだのだ。

強く降っていた通り雨を避けるため、部屋の中に入れていたベランダの花々。ここに住みはじめたときから、彼女が育ててきた。雨が上がり、彼女は植木鉢を外へ出す。ベランダへ出ると、遠くに虹が出ていた。

彼女のお腹には、小さな命が宿っていた。名前は「虹」にすると決めていた。

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