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2022年7月の記事一覧
子どもに対して「誰かが叱らなきゃいけない」という命題について考えた。「叱る」というのは好きではない。そこには大人の都合による善悪があるからかもしれない。それよりは「私はイヤだ」と言うほうがいい。大人の善悪には間違いがあるが、「イヤだ」という気持ちに間違いはない。子どもだってわかる
筋トレやジョギングでわかることはいろいろある。私の場合は「あと◯秒!」「あと◯km!」を確認しすぎると精神的に疲れるようだ。「今、やり続けられるか?」だけ考えていた方がずっとラクだし結局最後までできる。仕事や普段の生活も、目標を確認してばかりいると、今とのギャップに落胆して疲れる
「いまここで、私の心のこの形を、すくい取ってほしい」と頭にイメージが浮かび、相手がその気になりさえすればするりとすくえると思ったのに、自分で取り出して相手に見せたものは形がわからずボロボロになってしまっていた。無理して取り出さなければよかった。「掬う」と「救う」は同じ音だったのか
「好きに理由なんてない」はある程度真理だろう。でも、理由が見つかる場合もある。私は昔から「好き!」と思ってもすぐ飽きてしまう経験が多く、自分の好きをそれほど信じていなかった。だからこそ「本当に好きでいられるのか?」という疑問を払拭するために理由を探す。飽きてしまったら悲しいからね