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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103…
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2019年5月の記事一覧

これまで「要望を伝えて、相手が期待通りでなかったから傷ついて伝えるのをやめる」という行動をとっていた。でも「発信して、反応が期待通りでなかったから傷ついて発信をやめる」はしない。それは発信せざるを得ないし期待をしないようにしているから。相手がひとりの人だと難しいのはなぜなのだろう

今まで向かい合っていなかった大事な感情を、いくつになっても見つけることができて、それはよかれと思って放置してきたからかきつく縛られてしまっていて、ほぐすのは本当に大変そうだ。今向かい合っているのは「わがままを言うと見捨てられる」という恐れ。そんなことないよって自分に言ってあげよう

私は世の中を知りたいとか人の気持ちを知りたいといった欲望より、文章を書くという快楽を求める気持ちの方が強いのだと思う。だって世の中や人を知りたいならもっと他に方法があるけど、文章を書くためには書くしか方法がない。なぜ書くかの理由は、説明しようと思えばできるけど後付けにしか過ぎない

「ないたあかおに」がなぜ素晴らしいのか。それは、はっきりとしたわかりやすい教訓が示されていないから。でも、悲しい気持ちになり、読んだ人それぞれが何かを心に抱く。「青鬼を大事にしなかった罰だ」「青鬼のように生きたい」「赤鬼はわがままだ」こうしてひとつの答えが出ないのが本当の世の中だ

ものごとの優先順位をつけるのは難しい。なぜなら指針がひとつではないから。論理的に考える最善の策と、気持ちが向く方向はたいてい違う。気持ちの状態も、俯瞰した時と没頭した時でまったく違う。それを同じ土俵に並べて優先順位付けするのはとても難しい。それでも、自分で決めることから逃げないで

できれば人を傷つけたくない。でも、傷つけることを避け続けていると大事なものを見失う。それは結局「嫌われたくない」と自分を守っているに過ぎない。自分だけいい人でいようなんて都合がよすぎる。どうせ人に迷惑をかけて生きているのだ。傷つけるとわかっていても、勇気をもって誠実な選択をしたい

自分が専門とする領域の知識は当たり前に感じ、誰かが知りたいと思っているなんて想像もつかない。そんな時は「質問上手な素人」と話をするとたくさんの気づきがある。質問し続けてもらえれば、発信のネタはいくらでも生まれるだろう。自分が見えているものは、他人から見えていないことに気が付かない

感情はときに理屈とは真逆の方向を突っ走る。私にとってどちらが大切かといえば、社会的あるいは統計的な理屈ではなく、私という個体からほとばしる感情の方だ。衝動的ではないか、ただの執着ではないか、そうやって検証していきながら、動かしがたい感情であればそれに従う。逆風を進むことになっても

後悔はしなくていい。気がついた今がちょうどいいタイミングだったのだ。今からできることをすればいい。できることがないと思ったら、それを活かす未来にすればいい。何かを覚悟するために、大きな傷みが必要だった。もうひとつの道を選択できなかったのは、あくまで当時の私であり、今は違うのだから

物語(ストーリー)をあまりに重視する小説や映画に惹かれないのは、他の繊細なものが見えなくなってしまう気がするから。ただし、物語やストーリーに惹かれてしまう気持ちに抗えないという事実もある。この矛盾を孕んでいるからこそ、読み手をコントロールしすぎる物語をつい避けようとしてしまうのか

手に入れたものと別れる日が来るのは当たり前なのに、どうしてずっと持っていられるように感じていたのだろう。捨てる日が来るなら手に入れないほうがよかったと思うものが山ほどある。電子化すれば捨てなくていい気がするけど、本当にずっと持っていられるのだろうか。持ち物が増えるだけ別れが増える