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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103…
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2019年4月の記事一覧

つい避けてしまういやな感情を「実は大したことないんじゃない?」って思ってみると、避ける道が減り選択肢が劇的に広がる。実は人の目が気になっているだけだったり、ただの思い込みだったり、見えないから怖いだけだったり。基準が消去法でなくなれば、もっとポジティブな理由で適切な道を選択できる

AとBふたつの道があって、Bを選んだからといって、その後何も考えず進んで行けるわけがない。Bの道が行き止まりだったり、思った方向に進まなければ、別の道を作ったり見つけたりしなくてはならない。もしかしたら、分岐点まで戻るかもしれない。選んだあとにも、必死で考え工夫し続ける必要がある

目標を設定してそこに向かって頑張ることが「あきらめない」なのかと思っていて、私には向いていないと思っていた。だけど私は細く長くあきらめないタイプのようで、何十年もくすぶった思いをずっと消せずにいる。見ないふりをしていた時期もあったけど、これからは向き合っていく。人生はまだまだ長い

みじめだと思いたくなくてジタバタしたり、思われたくなくて平気なふりをしている自分に気がついた。みじめな状態を恐れるあまり、ほんとうに大切なことが見えなくなる予感がする。「みじめなときもあるし、死ぬわけじゃない」と思えればみじめな状態が怖くなくなり、大切なものを見失なわずに済みそう

数学や物理やプログラミングはもうすっかり忘れてしまったし、それを過去に勉強したことが今の私にどう役立っているかわからない。ただ、その時に掴んだものや視野が広がった感覚は心の奥にずっと残っている。何かを読んだり聞いたりした時に、その時の感覚が私を満たす。それだけでも大いに意味がある

考えが変わるときって自分では劇的に感じるけれど、本当は少しずつしか進まない。言葉になるまでに「なんとなく」感じている必要があるし、言葉になった後も行動できるまでに時間がかかる。さらに、当たり前にできるようになるまでヨチヨチ歩きで進むしかない。そして、当たり前になったらまた疑うのだ

未来が輝いて見えるって思うことがる。楽観的というとらえ方もできるけど、明るい未来を信じて、それを叶えていくという意志でもある。誰かの未来ならその人を信じ、私の未来なら私を信じる。一緒に歩むなら、お互いを信じる。それはふわふわした未来じゃなくて、足元の一歩一歩を確実に進むってことだ

言い訳してしまう自分がすごく嫌いだ。何か落ち度を指摘されると理由を伝えたくなってしまう。私が悪いわけじゃなくて仕方なかった、そんなつもりじゃなくてちゃんと別の意図があった、とか。それは自分を正当化したいという気持ちの他に、人間はつい理由を求めてしまうという性質が関与しているのかな

仕事はひとりでできるものもあるけど、子育てどうやってもひとりではできない。ひとりで育てようとしたら、親も子も健全でいられない。だから嫌が応にも頼る力が付く。いろんな場所でないがしろにされたり優しくされたり怒られたり褒められたり。知らない人に迷惑をかけて、知らない人に優しさをもらう

環境が変わると付き合う人が変わるので、他人の「当たり前」が容赦なく飛び込んでくる。おそらく私も、自分の当たり前をぶつけている。「良いと思って続けてきたから当たり前になった」というものは、できるだけ好意的に取り入れていきたい。特に、リスクをとる行為を当たり前にできるようになると強い

こつこつやってきたことの成果って、ふっと普通の顔してやってくる。ドラマチックでもなく、自然に決まる。例えば数百個積み上げたうえでの1個だから、本当はすごいことのはずなのに、少しずつ積み上げているから高さがわかりにくい。だけどすごいことを成し遂げたんだよって、自分を褒めていいと思う

全部がうまく行っているときの選択なんて簡単で、犠牲が生まれる時ほど、自分の意思が問われる。最善の選択だと思っても、自分や他の誰かを傷つけることはある。誰も傷つけたくないからと決めるのを怖がっていると、結局誰も助からないかもしれない。私が傷つけたけど、最善の選択だったと言える勇気を

考えるということは、深くて底がないのだとしみじみ思う。少し見方を変えただけで途端に迷子になり、底が見えないくらいに広々とした空間を感じる。それは、こんなにも考えていなかったという絶望と、まだこんなにも考える余地があるという期待が共存する。私にはまだまだたくさんの可能性が残っている

ピンチの時に自分のスタンスを曲げるか曲げないか。それは短期的かつ感覚的には生き死にに関わり、長期的には生き方に関わる。どちらが正しいかはその時々によるけど、選ぶときはいずれかを犠牲にすると認識しておきたい。「状況がそうさせた」と言い訳せず、その時は最良の選択だったと自信を持ちたい