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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103… もっと読む
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2019年2月の記事一覧

すごく座り心地の良いソファの、いいところを説明するのは難しい。だって、違和感がないからずっと座っていられるわけで。別の場所から座り心地の悪いソファを持ってきて、それと比べていいところを探すしかない。だけどそんなことしなくても、素晴らしいってことはわかる。これまでになかったんだから

子どもが自分よりものごとを知らないからといって、私より下だなんてことはないし、教えると嫌がるのはとても本質的な感性であると思う(上下を感じてしまう)。教えているようでも、子どもが嫌がるときと嫌がらないときがあって、それは子どもをフラットに捉えているか、下に見ているかの違いなのかな

目標がある状態はあまり好きでないのかもしれない。真面目さゆえそこにこだわりすぎてしまうし、最初の「やりたい」気持ちがまるでなかったかのように、目標に「やらされている」気持ちになってしまう。進みたい方向がなんとなく見えていて、ただやりたいからやっている。そんなスタンスが合っていそう

言葉は万能でないと知りながらも、日々言葉を頼りに何かに向かってボールを投げている。何のためかと言えば、まずは自分のため。そうでなければ続かないから。でも、投げ続けたボールがときどき遠くの誰かに届いたり、大切な人の心を動かしたりする。ふと気づけば「頼り」と「便り」は同じ響きなのだね

身体的な世界は思考の世界とつながっているのだろうか。バレーボールをしているとき「取れない」とわかっているボールもダイビングして取りにいく。だからこそ、ギリギリ取れるボールが来たときに拾うことができる。理由を忘れていたほど身体に染み付いたその習慣は、スポーツ以外にもきっと活用できる

「寂しくなんかない」っていう自分が欲しくて、ずっとそう思い込んでそのように振舞ってきた。でも今は、寂しいからツイッターをやるし寂しいから人に会いたいし寂しいから話がしたい、と思う。それだけでずっと寂しさが和らぐ。自分をごまかしていると、自分を知るのにこんなにも時間がかかってしまう

人は経験したことしか想像できない。自分が経験していないことで生まれる誰かの気持ちは、似た出来事で補いながら理解しようとする。どうしてもダメなら、過去に見た映画や小説を思い起こす。自分の経験だけでは想像し得ない誰かの気持ちに寄り添うために、物語は私たちにいろいろなことを教えてくれる

大人になるほどいろいろな経験をして、打算や思いやりや我慢が身につく。その結果、自分のことがよくわからなくなる。外側の厚い皮をかいくぐって自分にアクセスする方法は、湧き立つ感情を見つけるところから。見つけたらそれをつたって潜っていけば、隠されていた自分の中身を覗いて見ることができる

相手に迷惑がかかりそうだからと気持ちにフタをする。だけど本当に迷惑かどうかは相手が決めること。フタをしてずっと見せないままでは、本当のことが何もわからないし、どこへも辿りつけない。迷惑がかかりそうだと理由をつけていたけど、本当は「迷惑だ」と知らされるのが怖かっただけなのではないか

愛を与えたら愛が戻ってくるように、人を傷つけたらそれも戻ってくるのかもしれない。ただ、傷つけ傷ついても前に進むしかないことはあって、それも受け入れていくしかない。変化しなければ停滞するだけ。前に進まなければ沈んでいくだけだ。前に進む決断をしたのだから、それを正解にしていくしかない

いろいろ大変なことがあっても、何も聞かずに私の味方をしてくれる人がいる。それだけで自分が強くなれるし、とても大きいと思っていたことが小さなことに思えてくる。ひとりで何とかしなきゃいけないんだけど、ひとりではない気がする。相談するのは解決策を見つけるのではなく、強くなるためなのかも

自分の怒りや嫉妬といった感情に向き合うのがとてもつらいのは、自分の器があまりに小さくてショボいってことをそのままリアルに目にしなくてはいけないから。一見平気なふりができても、隠しドアを開けると見すぼらしく小さな器が鎮座している。それも愛らしくかわいいじゃんと思えればいいのだけどね

選択肢がふたつ。どちらかを選ぶということは、どちらかを捨てるということだ。100:0だったらそもそも選択肢になんてならないので、選ばれなかった方に多少なりとも未練が残る。全然平気だとかっこつけてもいいけれど、捨てるものを悲しむことも自分に許そう。それによって答えはゆらいだりしない

「物語ることで記憶が固定化してしまう」と聞いた。新しい記憶を文章に刻んでも、書いていないことがさほど薄らがないのだけど(つまり本当のことがあまり歪まないのだけど)、古い記憶ほど掘り起こして語ると違った形に固定化されると思う。だから私は、鮮度の高いうちに留めておきたいのかもしれない