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激動の2021年に要らないものを置いて、また一つずつ創っていきたい2022年

MacBookを買った。

こんにちは!

操作に慣れるために、この一年を振り返るnoteを書いてみることにした。
幸い、わたしは毎年ガキ使も観ないし、時間だけはたっぷりあるから。
自分の素直な気持ちを書くのは、noteで、って決めている。


とにかく「手放す」がテーマだった

わたしは捨てたかった。自分にとって不要なものを。今の環境を。

プライベートのあれこれを知っている人たちは、「えみすけさん、今年は激動でしたね」って言ってくれる。ほんとそう。

1月に、わたしが所属していた鍼灸師のコミュニティで、とあるお話会があった。そこで提示された「膣ケア」というテーマが、自分にとって未知のものであり、かつ、自分がやろうとしていることにも近いはずだと感じて、そこから性の発信を始めた。

鍼灸は、妊活において非常に心強いツールなので、よく「不妊治療専門」といったような治療院が見受けられる。でもわたしはいつも疑問を感じていた。妊活をしている女性たちは、あんまり幸せそうじゃないのだ。楽しんで子作りしている様子がない、というか。毎回のセックスが義務的だったり、人によっては苦痛だったり(これはつらすぎる)、とにかく、妊活の一歩手前の部分に、大きな問題が潜んでいるように思えてならなかった。

2月に、鍼灸師の伊佐治先生と、「性欲と性機能」というテーマでセミナーをさせていただいた。伊佐治先生は、男性の性機能障害について論文も書かれており、全日本鍼灸学会から高木賞を受賞されているすごい人。鍼灸の作用機序を含め、とても興味深い内容をお話しされた。

鍼灸施術によってED(勃起障害)がよくなる可能性がありますよ、といった伊佐治先生のお話しに対して、わたしは後半、「そもそも性機能が回復したとして、それを使う場面あんのか??」という内容でしゃべった。女性を、【セックスが楽しみで仕方なくて、興奮して濡れまくって、早く挿入してーー!っていう状態】に持っていけてる男性ってどれぐらいおるんかしらと。

そもそもそこに達するには、女性に性欲があること、そして相手との関係が良好であること、信頼と安心感があること、そして心地よいタッチングがあること、その上で女性の性機能が保たれていること、とてもたくさんのチェックポイントがある。

機能を重視しがちな男性と違って、女性は心を大事にするので、女性を身体も心も濡らすには、ものすごく細やかなケアが必要なのである。そういったことを、鍼灸施術よりも前に、わたしたちも知っておく必要があるよねって思う。

そういうことを重点的にやっていく治療院がしたいな、と思った。

当時は夫婦で鍼灸接骨院をやっていたので、そこに来院される患者層は家族づれが多くて、結構プライベートなお悩みも聞いてはいたのだけど、なんせ接骨院って人が多い。誰かに聞こえてしまう可能性がある場所では、なかなか話せない内容もあって、いちいちわたしは歯痒かった。

どこかで、一人で、性のことに特化した治療院をやるのもいいかも。
そう思いながら、わたしたち夫婦は、確実に離婚に向かって進んでいた。すでに別居はしていたけど、治療院では毎日一緒だったので、お互いストレスがすごかったと思う。

不眠や動悸、体に確実に症状は出ていたけど、「病気になってる場合じゃない」「もっと頑張らなければ」と自分を追い込み、ついにぐちゃぐちゃになった。毎日死にたい気持ちが消えなくて、もうこんなにつらいなら消えてしまいたくて、子どもたちを夫に任せて、いなくなろうかと何度も思った。今お世話になっている人たちや患者さんのことを、裏切れるわけはもちろんなくて、耐えて耐えて泣いてたけど、もうほんとに仕事も上手にこなせなくなってきたので心療内科に通院を開始した。適応障害によるうつ状態、と診断がつき、「まぁそうなんだろうな」って他人事みたいに思っていた。

薬を飲むと、びっくりするぐらい何もできなくなった。記憶力が低下し、計算ができなくなり、日にちと時間を間違えた。予約ミスも、連続で2回した。患者さんに迷惑をかけて、死にたくなった。眠いのに眠れないまま朝を迎え、朝はだるさで動けない。子どもたちが「お腹すいたー」と言っているのはわかっていて、わたしが動かないと子どもたちのご飯がどうにもならないこともわかっているけど、何にもできない。朝からずっと泣いてた。ひたすら色んなことに、謝っていた。

ごめんなさい。何もできないお母さんでごめんなさい。
お父さんと仲が悪くなってしまってごめんなさい。子どもたちに寂しい思いをさせてごめんなさい。離婚しようとしてごめんなさい。我慢強くなくてごめんなさい。

それでも、とにかくこれ以上自分が自分でなくなるのを避けたくて、接骨院を退職することに決めた。そしてそんな状態でも、不動産屋さんに行って、物件を決めて、わたしだけの一人治療院を開業した。

9月に離婚が成立しても、わたしのメンタルはすぐに良くなるわけではなく、心療内科には今もずっと通院している。開業してすぐは特に、「最初だから頑張らないと!」「離婚して子どもを不幸にさせた、なんて絶対に言われたくないから、今まで以上に幸せにするぞー!」って意気込んでいたし、11月までは割と元気に過ごしていた。

そしたら11月末に体調を崩して、しかもそれが10日間ぐらい治らなくて落ち込んだ。自分、よっわ。どんだけ回復せえへんねん、と思った。

その時初めて、ちょっと思ったんだけど、
「ひょっとしてわたし、色んなものを持ちすぎなのかなあ」って。

あれもしたい、これもしたい、またこんなん思いついた、ってなったらすぐ動くタイプのわたしは、家でもずっとスマホを触っているし、夜もzoomをしていることが多い。常に誰かと連絡を取ったり、返事を返したりして、頭の中が一人になることはあんまりなくて、なんかもうそういうのもあかんねやろな、って思った。

わたしはわたしのことを、ちゃんと大事にできてるんやろうか。
って思った時に、さすがにもう体力ない年齢にさしかかってきたし、生き方を変えないとあかんのやろなあと。なんでもやりまーーす!誰とでも仲良くしたいでーーす!!じゃなくて。いろいろ選んでいくというか。

これは、いる。これは、いらんかもしれん。
そうやってわたしは、色んなものを手放すべきなんやろうな、ということに気づいた一年やった。(ここまで書いて思ったけど、MacBookって、予測変換勝手にしてくれるんやな。ちょっと大きなお世話感あるわ。はよ仲良くなろうw)


自分の中の譲れないものに目を向けてみる

わたしが超信頼している、四柱推命の鑑定士さんがいて、その人としゃべった時のこと。
「今年はもともと、自分の中の繊細な部分を大事にする一年だったんですよ」って言われた。これはわたしだけじゃなくて、みんなそうなんだって。

「誰かのために」って思って動いてる時って、承認欲求強めで、満たされていないかもです、って言われて、確かに全く満たされた感がなかったなーーって感心した。(感心するとこちゃう)

わたしはいつも不満だらけで、その不満を消し去りたくて、誰かに満たしてもらおうとすることが多い。あんまり友達になりたくないタイプやと思う。ごめんなさい。

でもほんとは、「誰か」に依存するのではなくて、自分で自分を満たすことが大事だし、そのために「自分は何がしたい?何がいやなん?」って、ちゃんと聞いてあげることが必要なんやと思った。

LINEのkeepメモっていう機能があるのだけど、わたしよくそこに書き込む。自分で自分に質問して、自分で答えを入力する。そんで読み返すと、へー、ってなる。心療内科のカウンセリングも、めちゃくちゃ助かっているのだけど、やっぱり言葉にすると意識できるし、内心の言語化が割と得意だと思っているわたしにとっては、「書く」ことが癒しになっている節がある。

治療院のブログは、なんかやっぱ治療院のブログなので、「ちゃんと」せなあかんなーって思ってしまうし、このnoteはなぜかいつもすごく素直に書けるので気に入っている。mixiみたい。

こないだ体調を崩したおかげで、「もうこれはやめてもええかーー」みたいなのがいくつか見つかった。だからそれも手放すつもり。そして同時に「わたし、ほんまにこれすきやよなあ」ってのも見つかった。一瞬、Twitterもやめようとしたのよね。ツイート全消ししたりして、過去も消してやる!って闇堕ちしかけたけど、でも楽しいことがあったらやっぱり文字にしておきたくて、ていうかわたしはこの数年間、文字で色んな人と繋がってきたんだからやめるなんてもったいないやないかーーってすぐに思い直して、まじメンヘラムーブをやりました。えみすけと関わると疲れますね。ごめんね。

でもそうやって、【やっぱりこれがすき】という譲れない想いを手に入れたので、結果全てのことには意味があるねん、ってことなんやと思う。人のために、という精神はどうしてもみんな強くなってしまいがちなのかもしれないけど、自分はこれがいい、こうしたい、ていうのはほんと守って行ってあげないとな、と思う。


もう一度、自分を好きになりたい

そうやって手放して、守るものを守ったら、やっと、リスタートのフェーズに入れるのだと思う。

わたし、この数年間、ずっと自分が嫌いでした。基本的には好きなんだけど、でも、理想の自分じゃないなって感じることが多かった。人からもたくさん嫌われたし、それはわたしが悪いし、切れたご縁もいっぱいある。悲しいけど、それはもう取り返しはつかないし、せめて今の結果や現状を受け入れることが、わたしにできる最後の誠意やと思う。

変わらずわたしを好きだと思ってくれる人はいて、もうその、自分のことを好きな人とだけ仲良くしとったらええやん、みたいな考え方もあるのだとは思うけど、やっぱそれもいやなんよな。自分的には。

わたしはいつかまた笑って話せるようになりたいし、その人たちにしてしまったことを忘れず、どうしたらみんなにとって良い状態になるか、最後までコミュニケーションを諦めずにいたい。そうしたら、たとえ結果がどうであれ、自分はベストを尽くしたと思えるし、努力はした、という自分のことを少しだけ好きになれるかもしれない。

自分に元々あったはずのいいところが、今は見えにくくなっていて、いやなところや未熟なところが目につきやすい。それを目の当たりにして、素直に落ち込むし、「来年40歳やのにまだこんなんゆうてる……」てショボーンてなるけど、でももうそれは仕方ないから、ここからまた、好きなところを一つずつ増やしていくしかない。

人に優しくできている時、誰かの役に立てた時、笑いを取れた時、わたしは自分のことをちょっと好きになる。自分の中の譲れないものを大事にしつつ、そういった作業を丁寧にやっていきたい。2022年。

わたしと仲良くしてくれている人たちは、「こいつきっしょ」てとこがあったらどんどん教えてください😇言われた時は落ち込むけど、自分でも考えてみてあかんとこやったら、きしょくならんように方向修正する。

そんで、わたしの好きなところがもしあったら、「えみすけのこういうところ、すきだよ」って教えてください。わたしは結構、軽率にすきって言っちゃうのだけど、すき、って瞬間の切り取りだから、思った時に言わないと消えちゃうんですよね。なだらかに続く穏やかなすきも、衝動的なすきも、わたしは伝えたいし、伝えられたいな。

とりあえず、文章はだいぶ書きにくかったし、「…」←これ変換する時なんて打ったらええねんって困惑してるけど、MacBook Airすき。おしまい。

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