de nada

その夕方、家をでて右を振り向くと自転車が消えていた。何か人生のうちで変化が起こるときは必ずそうだ。いろんなものがふいになくなる。今までも10代の頃から変化の前にはものがなくなるということが節目節目に起こってきた。だから経験値として大人になるにつれて物がなくなるということは悪いことというより、ささやかな良いことを知らせてくれているような気さえするのだ。だけど、もちろんショックではある。それは水の中にざばんと落ちて驚くが落ちながら事前に浮くことが分かっている感じ。浮くことが分かっているざばん。そして見上げたらきっと月と星が見える。世界は何一つ変わらない。その日、友人がうちに夜ご飯食べにこない?と誘ってくれていた。自転車で行くつもりで時間ぎりぎりにでたので、歩いていくとなるとまあ間に合わない。自転車でいけば5分とかからないのだけど。身体的にその距離を頭でざっと測ってみると結構距離があるという現実がのしかかる。私はこの足でしかどこへもいけないし、自分の筋力でしかジャンプはできない、そんな感じだった。そしてそれは自分を安心させた。とぼとぼ歩いて向かう。2月の終わり、そのとびっきり寒い夜は雪を降らせた。東西にのびる水道筋という、戦前からあるらしい大きな商店街の南側を歩く。いつか東京のお友達にこの商店街のことを話すと「都会でもないのに、駅から離れたところにそんな大きな商店街が発達しているのって不思議だね、お城でもあったのかな」と言った。ずーっと昔に偉い人でも住んでいたのだろうか。分からない。生まれ育った街なのに私はこの土地をあまり知らないような気がする。こないだ散歩をしていて、初めて北の方にまっすぐ歩いたら割と近くに山の入り口があった。草陰でがざがざっと音がして、たぬきのしっぽが大きく上下に揺れて草に消えた・・。たまげた。山がこんなに近かったことも知らなかったし、たぬきもいるのかここは。北に行けば山があり、南へ行くと海がある。シンプルな地理。知らず知らずに私はこの街の形や自然、シンプルでコンパクトな空間認識(と言えばいいのか)を身体に刷り込んできたのだと思う。この街に帰ってきた時の安堵感がそのことを気づかせる。このあたりは水道筋商店街の名の通り、水が豊か。水が豊かなところは文明だって生命だって繁栄するのだ。これまで定期的に汲みに行っていた地下水も自転車がなければ行けないな、そんなことを思いながら、川を渡ったあたりで、くっきりというよりはぼんやりと赤みのかかった光を放つ月が現れた。ほとんど満月だ。さほど人が入っていないファミレスの駐車場が少し広かったので、なんとなくそこで立ち止まって空をみる。厳しい寒さぱらぱらとふる雪とはうらはらに月の光はあたたかだった。冷たい雪と暖かい光が入り交じった静かな夜の道を歩くのは悪くなかった。(続く)

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