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繰り返し読みたい

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心に留めておきたいこと、元気が補充されるもの、また読みたいと感じたnoteを集めたマガジンです。
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#エッセイ

自分の欲に耳を澄まして、ちゃんと選ぶ

優柔不断な私だけれど、自分の欲に耳を澄ませて、ちゃんと自分で「選ぶ」ことができたとき、「しあわせ」を感じる。 たとえば、毎日のごはん。食いしん坊な私にとって、誰と何を食べるかは日々の重要な問い。だいたい朝は、家族揃って、具沢山みそ汁とごはんとそれぞれ好きなもの(夫は目玉焼きとウインナーあるいはステーキ!、娘はコーン、私は野菜とヨーグルト)と我が家の相場が決まっているので、重要なのはお昼。自宅勤務なので、ひとりで食べることも多く、どこまでも自由だ! もちろん選択肢が無限にあ

80歳

たとえばの話だ。 私は今80歳で、夫に先立たれ、たった1人で暮らしている。1人で暮らす一軒家は、しーんと静まりかえって、途方もなく広い。娘は市内に家庭を持ち、息子は飛行機に乗らなければ会えないほど、遠く離れて暮らしている。 幸い、体はまだ元気だが、時々ひどく寂しい。この頃は、子ども達がまだ幼かった日を思い出す。ふわふわの頬、私を取り合う声、ぐちゃぐちゃに取り込まれた洗濯物、本読みの丸つけ。 川の字で眠る布団のずれ、寝相の悪い息子の回し蹴り。溜まっていく友人からの連絡。同

最近、ちゃんと生活をしてなかった

最近、ちゃんと生活をしてなかった。 遊んだり、お仕事したり、遠くへ出かけたり出かけなかったりはしていたけど、それよりもっと根っこの部分の、なんとなくむずかしそうな説明でよく出てくるようなピラミッドでいういちばん底の広いところ(つまりいちばん大切ということ)にあるはずの「生活」を疎かにしていた気がする。 忙しくても寝坊しても朝ごはんを毎日きちんと食べるとか、早寝早起きをするとか、眠いときにはちゃんと寝るとか、疲れて帰ってきてもそのままお布団に倒れ込まないとか、部屋を片付ける

その文章は正直か

作品づくりにおいてはいつも「真実は何か」を探っていくのだと、過去にテレビで宇多田ヒカルが言っていた。 そのドキュメンタリーでは、彼女が曲をつくる現場を密着取材していて、はじめて見るその制作風景はとても地道であった。 素人目線ではすでに完成度の高い曲ができあがっている、と感じるその段階からも、わずかな音の流れやリズムの入れ方、歌詞の一言一句を、いくどもいくども試行錯誤して、リミットぎりぎりまで苦悩していた。 もはや、わたしには変更前後で違いがわからないレベルでもある。けれ

大袈裟な感謝の後ろに

慣れない土地へ引っ越して不安なことの一つに人間関係がある。 地域の人たちが意地悪だったらどうしよう、嫌がらせを受けたら誰に相談しよう、と何も起きていないのに心のどこかで雨雲が立ち込めていた。実際はどうだったかというと、全然大丈夫だった。むしろとんでもなく喜んでくれた人もいる。 「若い人たちが来てくれるって嬉しいもんなんだよ」 特に喜んでくれたのはお隣さんのおじさんだった。おじさんは私の両親とちょうど同い年でなんだか親近感がわいた。子供はおらず奥さんと二人で暮らしている。