見出し画像

Victoria駅での伝道

はじめてロンドンの街に出て伝道した。前回伝道したのは家の近くの街道(ムスリムコミュニティー。)

前回の伝道の様子。

初めてここで伝道すると聞いたときは、「えっ!うそでしょ。ここってムスリムのコミュニティだよね。」と思ったし、クリスチャンの先輩に言ってしまった。クリスマス前の街道。ショッピングで賑わう通路で私たちは道ゆく人に声をかけた。コーヒーや紅茶、チョコレートなどのお菓子をお渡しした。「Jesus(イエス様)って誰?」というパンフレットも用意していた。

ムスリムの街道で伝道するなんて、挑発的なのでは。。。そう心配していた私をよそに、ヒジャブをまとった人たち、ムスリムのおじちゃんたち、子ども連れのお母さんは笑顔でお菓子を受け取る。中には5つもチョコレートを持って行った人もいたが、近くで紅茶を飲んで私たちと話をしてくれる人が少なからずいた。度肝を抜かれた。同じ伝道する仲間とテーブルを構え寄り添いあっての伝道。そして自分の住んでいる町ということもあって、周りのみんながみんな温かく感じた。

ムスリムの方々の中には、「募金は集めていますか?」と言ってお金を渡そうとしてくる方々もいたが、私たちは、「Jesus(イエス様)からのフリーギフトです。」と言って、お金は一切受け取らなかった。クリスマスソングを途切れなく歌い、物珍しげに見てくれるムスリムの方々は、「教会はどこなの?遊びに行ってもいい?」と言ってくれるおじさんもいた。まさに、百聞は一見にしかずというか、ムスリムの方々は私たちを追い払うことなんてせず、私たちを笑顔で見守ってくれていた。それはクリスマスを1週間後に控えた時期だった。

年が明けた、2023年1月。私と地域の教会で知り合ったクリスチャンの先輩Doreen(ドリーン)はVictoria駅の小さなビックベンの時計の下に立っていた。

最初に集まったのは、DoreenとEddyと私の三人。私たちははじめに祈った。そして、街道伝道を始めた。寒いし、恥ずかしいし、恥ずかしいし。まったく、伝道に来たというのに、自分のプライドを下ろせなくて、見知らぬ人に声をかけるのことができない。極寒の中で、私はただ交差点の真ん中のミニビックベンの元につっ立っていた。

「よし、やろう!」

「あのウ・・・」

全然準備はできていなかった。でも、行くしかない。

「あのウ。。。これ、もらってくれますか?」
私はリーフレットを見せた。リーフレットには、キリスト教について書かれていた。

「いや、いいです。」

そりゃそうだよね。こんな不安な顔をした私が聞いたって、いらないわな。私だってこんなに自信がない人にキリスト教について知ってほしいと言われても、なんだか進まないもの。

「Hello! こちら見ませんか?」
もう問いかけすら意味がわからないが、受け取ってもらえた。しかも笑顔で!

またシャイになる私。
また恐る恐る聞く。

もらえたり、もらえなかったり。でも、正直つっ立っている時間の方が長かった。

そうしているうちに、次から次に同じく伝道のために仲間が集まってきた。一人のアメリカから来た女性がマイクを持って伝道を始めると、その場の雰囲気がガラッと変わった。彼女が嬉しそうに、神様が私たちに愛をくださったと伝える。忙しい交差点の真ん中の広場で、愛の波動が始まった気がした。

恥ずかしいのと、寒いのとで、予定の時間よりも早く私は切り上げてしまったが、後から来た人たちがその場の雰囲気を暖かくしていた。そんな姿を見ると、その場を去る私に笑顔が込み上げてきた。

私は、ベビーシッターをしている子どもを迎えに行くために電車に乗った。

伝道の意味

伝道の意味ってなんだろう。でも、言えることは、意味があるということ。街で伝道に出会った人が、その場でイエス様の愛を受け入れることがある。出会いがきっかけで、教会に初めて訪れる人がいる。伝道はそんな「きっかけ」となり得る。立ち止まる人、立ち止まらない人、うるさいなあと思って通り過ぎる人、いっぱいいると思う。私は30年間仏教徒として育ってきたので、ある日家のドアの前に聖書を持った人が立っていた時、驚きなんのことかわからないけど、さようならとその人を追い払ってしまったことがある。あのときはまだ、子どもだったが、聖書はタダだから、と言って受け取った気がする。そのあとは読んでいないのだが。。。ということで、私は生まれながらのクリスチャンではないので、キリスト教に対して「なんだか怖い」と思うこともあったし、そもそも「何それ」と思うことがあった。そんな私は、寒さで凍えながら、それも鳥のような声で、「あのウ。。。」と言って見知らぬ人に声をかけていた。目的は、他の何でもない、神様からの愛を伝えること。「あなたは、愛されているんだよ。もう、すでに。」ということを伝えること。

一番最初の街での伝道は、恥ずかしさに負けてしまうことの方が多かったかもしれないが、大切な第一歩となった。いつか私も、もっと自信を持って、声高らかに、神様からの愛を伝えたい。

あなたは愛されているのです、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?