私と神様との出会い

母が亡くなって7年目の年、私はまた母を思って泣いていた。母はどこへ行ってしまったのだろう。

東京、上野の一室。夕方くらいだったと思う。窓のほうから光が見えた。夕日じゃない。太陽からの光じゃない。天国の光だ。

光の向こうにお母さんがいた。小さな船のようなものに立って手を振っている。横にいるのは誰?神様?あなたが神様なんだ。

温かくて心地よい光。まるで、天国にいるよう。私は、天国にいるんだ。

光は次第になくなっていった。天国からの光だった。

その日の夜、私は眠った。

次の日、高校時代のクラスメイトと会った。私たちは1週間くらい前から会う約束をしていた。彼は、家が教会のクリスチャン。

私は昨日の夕方起こったことを話した。天国に行ってきたこと。神様の愛を感じたこと。涙ながらに話した。でも、私は仏教徒だということも。

私は、東京の一人暮らしの部屋に仏像を買うほどの仏教徒。東上野に住むことにしたのも、お寺がたくさんあり、仏壇の街だったからだ。

「えみはもう、神様を見つけたのかもしれないね」
そのあゆむ(高校時代のクラスメイト、今ではクリスチャン仲間)の言葉に、私は「そんなこと言わないでよ。私は仏教徒だから。」と激しく反発した。

しかしその日の夜、私は自分が体験したあの光を否定することができなかった。あの光は、私が毎日拝んでいたものからの光ではなかった。あれは、神様からの光だった。そしてそこに、母もいたのだ。

「あゆむ、あのさ、たぶん私、神様とかゆうやつ見たんだと思う。あれ、神様だったんだと思う。」

その日の夜、牧師先生と奥さん、あゆむが私の部屋で祈ってくれた。
「あなたはイエス様を信じますか?」
イエス様がどこの誰か知らないけれど、あの光は、神様からだった。あれは、イエス様とかいう人からだった。私は、天国に行ってきたようだった。
「はい。」
「あなたは、イエス様があなたのために十字架で死に、そして3日目に蘇り、救い主として今もなお生きていることを信じますか。」
「はい。」
だって、あの光はイエス様の光だったから。イエス様とかいう人が、私を見つけてくれたみたいだから。

私はその日、イエス様を信じた。
次の週の日曜日、教会に行った。賛美を聞きながら涙がポロポロ流れて止まらなくなった。

この一連の光、そう、聖霊様が来られるまで、私はずっと自分を赦すことができなかった。自分を責めて、ときにはPunishして生きてきた。自分を押し殺して生きて、本当の自分を押し殺して生きていた。

母が亡くなってから、私には本当の幸せがなくなった。どんなに輝かしい経歴を作っても、何を達成しても、一番喜んでくれるはずの人がもういない。これからの人生で起こるどんなに喜ばしいことも、もうどうだってよくなった。私の人生の喜びは母がいなくなったことで、無くなってしまったのだ。

そんなことを思い、泣いていた時、イエス様が私の前に現れた。母は隣で「こっちだよ」と言っているようだった。死は終わりじゃない。死後の天国はあるんだ。神様はいるんだ。お母さんに天国で会える日が来るんだ。

私の「はい。」には、それ以上の答えがあった。私は、本当の神様を見つけたんだ。。いや、イエス様が私を見つけてくださったんだ。そう思うと、賛美をしないではいられなかった。

神様に出会う前、ジャスティンビーバーのHolyを聴いて涙が流れてきたのを覚えている。そしてイエス様が私の神様だと認めてから更に涙が溢れて止まらなくなったことを覚えている。

私はジャスティンのファンじゃないけれど、失礼かもしれないが、(ドラックなど色々な問題を起こした)彼も神様に救われるんだ、そのような安心をくれたのは確かだ。今では彼は私のクリスチャンとしてのロールモデルと言ってもいい。彼の賛美は力強い。それは彼の昔に犯した罪がいまは神様の恵みによって赦され、そしてそれを受け入れる彼の喜びに満ちているから。

東京で働いていた時、職場のドアに入る一歩前までこの「Holy」を聴いていた。「神様助けて」そんな気持ちで毎日生きていた。そして神様と共に生きる喜び、神様から与えられた喜びを噛み締めて生きていた。

イエス様を信じ、受け入れたとき、私には新しい命が与えられた。もう、過去を背負って生きていかなくてもいいんだ。もう、自分を責めなくていいんだ。だって私の罪はイエス様と共に十字架によって死に、そしてイエス様が蘇り天に登って私の住むところを天国に用意してくれているんだ。そう思うと、死すら怖くなくなった。母に天国で会うことが楽しみになった。

神様がいる。だからもう、何も怖くない。そう思えるようになったのだ。

いま私は、神様からの試練を受け止め、試され、赦され、日々生きている。


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