見出し画像

愛の不時着とサイコだけど大丈夫が同じだった


2020年に観たドラマで一番面白かったのが「愛の不時着」で、三番目に面白かったのが「サイコだけど大丈夫」だ。


どちらも韓国の同じ局の、同じ枠のドラマで、Netflixで観れる。


画像1
画像2




これ読んでる時点で観てない人はいないと思うけど念のためあらすじを引用しておく。






かたや北朝鮮人と韓国人のラブストーリー、かたや自閉症の兄を持つ介護士とサイコパス童話作家のラブストーリー、共通するのは「ラブストーリー」というところだけのように見えるが、よくよく考えるとこの2つのドラマ、構成する要素がびっくりするくらい一緒なのだ。

展開のポイント、いわゆる転機となる出来事においても、驚くほど似たところがあり、違うのはその展開のスピードだけだ(個人的にはそのスピードの差が両作の評価の差につながったとおもう)。







しかし同じ局の同じ枠の同じ制作会社の同じNetflixのドラマ、偶然そんなに似るわけがない。つまり制作陣は意識して同じ要素を盛り込んで物語を制作していることになる。

つまり、「この要素で作れば面白い」とわかった上で作品制作をやっているのだ!!!!愛の不時着をみたときに感じた、「緻密に論理的に作られてるな」という感覚は間違ってなかった。めちゃくちゃ頭で作られてるんだ、このドラマたち。


すごいのが、この両作が全く別物になっているってことだ。同じ要素を盛り込んでいるのに、全然違う話、全然違うテーマになっている。サイコだけど大丈夫は、愛の不時着のただの二番煎じにまったくなってないのだ。

ということはこの要素でこの展開で物語を作ったら面白くなるってことでは?!?!?!と思ったので、今後の自分の勉強のために要素を抜き出すことにする。







1 キャラクター設定


●セリ(不時着)/ムニョン(サイコ)

・高飛車で強気
・社会的地位が高く金持ち(有名人)
・美人
・母親との関係に問題がある(幼い頃のトラウマ)
・孤独を抱えている

ちなみに服装も似てる。



●ジョンヒョク(不時着)/ガンテ(サイコ)

・兄に関わる複雑な状況にある
・周りがザワつくイケメン
・尽くすタイプ
・笑わない、あるいは笑えない
・女性経験がない

ちなみにスーツを着てめちゃくちゃカッコよくなるというシーンがどっちもある(女がやきもち焼いて似合わないと言っちゃうとこまで一緒)。










2 昔の話


男女は昔すでに出会っている。

セリとジョンヒョクはスイスでの出会い、
ムニョンとガンテは幼少期のエピソード。

おかげで現在での二人の出会いが「運命」になる。
あと両者とも過去パートで男性が女性に好意を持っている。
長い間想ってくれる男性のこと好きだよね うんそうだよね



余談だがわたしは20世紀少年という漫画が大好きで、一番好きなのが、「ともだち」があんな大そうなことをした理由が、子供の頃の万引きの濡れ衣っていう「ちっぽけな」ことだったってところ。
主人公は子供のころのちっぽけな記憶を大人になってもずっと「後悔」しつづけている。


なんでかわからないけど、昔の小さな「後悔」をずっと引きずっているということに対してすごくエモーショナルに感じる。


だからガンテがムニョンに寄り添えなかったことをずっと後悔していたことに胸がギュッとなった。なんでわたしの好きなものわかるんかNetflix?













3 もう1組の男女


愛の不時着は正直セリとジョンヒョク、ダンとスンジュンの4人の話だ。

サイコはムニョンとガンテとサンテの話だと思うので、ダンほどの立場ではないけど、ジュリという女の子が出てくる。


ダンは中学生の頃からジョンヒョクが好きだ。ジュリも子供の頃からガンテのことが好きだ。
ダンもジュリも、セリ/ムニョンが現れたとき「わたしのほうが前から好きだったのに!」ってなる。そりゃそうだ。そのとおりだ。

そしてわたしたちはダンに、ジュリに共感する。わたしたちだいたいいつもそんな感じだもんね…(うんうん)

ダン/ジュリとわたしたちの違いは、「スンジュン、代表ニムがいるかいないか」である。

スンジュンがいてほしかった。代表ニムがいて欲しかった。男に振られたあとに、好意むきだしで無条件に真っ直ぐに口説いてくれる男が欲しかった。いないんだけど。だからスンジュンと代表ニムがその願望も満たしてくれるわけだ。











4 好きになってはいけない理由がある


不時着の場合は、どこまでいっても「北朝鮮と韓国」という国籍の問題が横たわっている。

歳の差よりも家柄の差よりも先生と生徒よりもめちゃくちゃ説得力のある「恋愛の障害」である。


その点、サイコにおける「恋愛の障害」はたいしたことないなと思いながら観ていた。要は、「サイコパス女を好きになっても幸せになれない」という理由でしかないからである。


それが12話という終盤差しかかるあたりで爆弾を放り込んでくる。「自分の親を殺したのが彼女の親だった」「彼の親を殺したのが自分の親だった」は、デカすぎる障害じゃありませんか…


えぐすぎる…しかしガンテはまさかの、このデカすぎる爆弾に、たった1話で決着をつけてしまう。判明したのが12話中盤、ガンテがそれに折り合いをつけて写真スタジオに行くのも同じ12話だ。

潔いな〜〜と心底感心した。もうこれだけで普通のドラマだったら何話引っ張れるのよ。かっこよすぎます


そのあとムニョンは何話かに渡ってこの障害について悩むことになる。まあそうなんだよね、ムニョンは加害者側だからガンテのように割り切れないよね。


とにかく2組とも障害でかすぎるので、それを乗り越えることで愛がどれだけ深いかを表現できるのですね。










5 巨悪が存在する



チョ・チョルガンは本当歴史的な最悪キャラクターだ。北朝鮮で不正働いて人殺してる軍人ってもうどうしようもなく最悪じゃないか。ドラマだから最終的には勝てるだろうと思うのにそれでも勝てる気がしなかった。


サイコの巨悪はムニョンの母親だ。ムニョンを苦しめ続けている存在であり、ガンテの親の仇でもある。「怪物(グエムル)」と呼ばれて、姿が一切見えない不気味さもあり、かと思いきや非常に身近な存在だったことがわかったときの気持ち悪さったらない。チョ・チョルガンに並ぶ巨悪と言っていいだろう。



まあ当たり前なんだけど巨悪が巨悪であればあるほど対抗する二人の絆は強くなるわけですよね
チョ・チョルガンもムニョンの母親も言葉通じなさそうというか説得とかが出来なさそうで、それが恐怖心をあおる。「解決不可能性」というか。それが同じ悪でも梨泰院の長家の父と違うところ。長家の父は人間感あるんだよな…





セリのトラウマ/ムニョンのトラウマに関して、彼女たちは自分の口からジョンヒョク/ガンテに伝えることはないけど、なんらかの形で彼らにちゃんと伝わり、ちゃんと彼らが彼女たちを「かわいそうに」思ってくれる。これはほんと鉄板の流れなんですよね。












6 食事を大事にする



両作品とも、ラブストーリーの皮をかぶった家族モノなんだけど、共通項として「孤独な食事を摂る女」というのがある。

要は母親から正当に愛されていないことの表現で、つまり反対に、「楽しくて充実した食事を摂らせる男」というのは、家庭的な愛情を与えることの表現ということになる。


しっかし本当にジョンヒョクもガンテも食事を摂らせることを大事に思っている。
セリの成長(変化)を描く一番大きな目盛りが「食事を人と食べるようになった」だし、ムニョンがガンテを拒絶しているのを解く大きなきっかけがジュリのお母さんの作る食事だ。サンテにムニョンが許してと泣くときもサンテがムニョンにご飯を食べさせるシーンだ。



でもこの2作品に限ったことではなくて、韓国ドラマ全般でこの手の「孤独な食事をしない、充実した食事を摂らせる」ことで愛情を表現することは多いなと思う。

ただこの両作品に特筆すべきは、充実した食事を与える側が女ではなく男だということ。女性に家庭性を求めることへの反発なのかなんなのか。まあパクセロイも料理作るけど彼は職業としてなので別。











7 そのほか

そのほか細かーいことを言うともっと共通点があって。仕事をサボってデートをして吊り橋に行くとか、男が女の家に住むとか…




サイコの好きなところは、全体に一貫している「童話」の空気感。
その時々の話が毎話毎話タイトルになっている童話の内容とリンクしていて、実際作中でアニメーションで描かれることもある。ムニョンの住む「城」と呼ばれる家とか、冷静に嘘くさいんだけど、「これは童話の世界観です」という但し書きのお陰でむしろその城が作品の美しい空気感を増幅させてくれるものになっている。

童話だから美しいし、童話だから不気味で怖い。童話だから辛すぎない。要はどこか非現実の雰囲気、「フィクションですよ」という触れ書きがあるおかげで、わたしたちは変なところを気にすることなくストーリーに没頭することができる。






では不時着は?

不時着は「南朝鮮のドラマ」だ。ストーリーテラーはジュモク。ジュモクが「南朝鮮のドラマだとセリさんと中隊長同志はこういう展開になります」と教えてくれる通りの展開になっていく。
「これは南朝鮮のドラマです。こんなに美しくて優しい男性は現実の北朝鮮にいないし、こんな美しくて優秀で完璧なお嬢様は現実にいないけど、南朝鮮のドラマなので大丈夫です。南朝鮮のドラマなので、ちゃんと良いシーンには雪が降りますよ」という但し書きをつけてくれていて、実際良いシーンで雪が降るのだ。


おかげでわたしたちはストーリーに没頭して号泣しまくることができる。いや〜よくできてますよほんと。











まとめ


とりあえず、不時着が16話に本当にパンパンにエピソードを詰め込んでいたことがわかった。北朝鮮パートが9話までですよ、おかしない?無駄なシーンが皆無。



冒頭に「両作品の共通項はラブストーリーという点」と書いたが、正直これは間違っている。

愛の不時着は紛れもないラブストーリーだが、サイコだけど大丈夫は家族の物語だ。

愛の不時着の最終回はセリとジョンヒョクのスイスでの生活で終わるが、サイコの最終回は、サンテがガンテの手を離れていくところで終わる。非常に大きな差異である。似ているけれど全く別の物語だ。そしてどちらも素晴らしい。



ジュリのオンマが作ったうずらの卵食べたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?