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愛の不時着が面白いのには理由がある

(前置きしておきますが、この記事はめちゃくちゃ長いです。普通の人なら読む気がなくなると思います。文章なんてだいたいそうだと思うけど、あくまでわたしの気を落ち着かせるためだけに書いたもんだということをご了承ください。なので、「愛の不時着」をまだ観てない人にいかに面白いかを伝えたい気持ちに溢れているのに、大いなるネタバレも溢れているという、どう取り扱ったらいいかわからない内容になっています。)








「この作品を観ることを選択したわたしありがとう」と、観終わったあと思うドラマや映画のことを、いいドラマ、いい映画だと思ってる。今までそう思った作品は、Netflix制作の「ストレンジャーシングス」や、岩井俊二監督の「花とアリス」、グレタカーウィグが監督した「レディ・バード」とか。


そしてまた、コロナ禍で仕事が休みになって実家にこもりながら、27時くらいに「愛の不時着」の7話くらいを観ていたとき、わたしは、まさにそう思った。わたしの人生に影響を与えてきたドラマとか映画はたくさんあるけど、愛の不時着を観たら、世界の見え方がまるっと変わってしまった。ここでいう世界とは、「恋愛とか仕事とかいろいろ頑張ってる25歳独身女性のわたしの世界」であるのはもちろんのこと、「ドラマ制作に携わる助監督のわたしの世界」もである。


あまりに面白すぎた。面白いの度合いが尋常ではない。


わたしが暇さえあれば観てるFilmarksで、数値による評価を見てみよう。

まず比較対象として、日本で今まで社会現象になったドラマと、わたしが個人的にめちゃくちゃ面白いと思ったドラマ。

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星の評価なんてあてにならないし評価者全体の数にもよると思うけど、ひとつの指標にはなると思う。興味深いことに、適当にピックアップしたわりに見事に4.0から4.2の間におさまった。ちなみに「結婚できない男」は4.0だけど、わたしのやってた「まだ結婚できない男」は3.6だった。わたし的には今までやった仕事で一番面白いと思ってるけどそれでも3.6だ。


映画のほうにおいても言えることだが、Filmarksの評価は4.0を超えてくると、かなり高いと思ってもらえばいい。4.2とか出てくるとまじかこりゃ観るしかねえなとなる。


さてここで「愛の不時着」の評価を見てみよう。


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ちなみに暇さえあればFilmarksを見ているわたしも、これだけの人がレビューしているのに4.6がついてるドラマを他に見たことがない。


前置きが長くなってしまったが、初めて愛の不時着を観たとき、このドラマの面白さは言語化できないと思った。もうなんか色んな素晴らしい要素が入り乱れすぎて、わたしなんぞにとやかく言う資格はないと。90分前後が全16話を息つく暇もなく観続けたうえ、1週間以上愛の不時着のことが頭から1秒も離れず、感傷に浸りすぎて仕事も全く手につかなかった。


一昨日ついに2周目の愛の不時着鑑賞をする決意をして、またしても息つく暇もなく16話観終わってみて、あ、このドラマは、意外と言語化できるところが多いと感じた。というのも、とても緻密に、精巧に、論理的に作成されたドラマだったからである。しかしそれらが、製作陣のあまりの熱意に裏付けられたものであったせいで、観終わったあとに「こりゃどうにもなんねえ、やばすぎる」という感情を視聴者に抱かせる。


わたしが思うに、このドラマの製作陣は、自国韓国のドラマが大好きなんだろう。恥ずかしながらわたしは韓ドラに拒否感、先入観を抱いてきた人間なので、今まで一本も観たことがなかった。そのわたしにもわかる、なんだろうこの、「韓国ドラマの集大成」感は。今までひたすらまっすぐ「韓ドラ」を追求してきた韓国のドラマ業界の人たちがここまでたどり着いてしまった感は。


あまりに脚本が素晴らしすぎる。韓国の通常のドラマがどうかは知らないが、日本のドラマは基本、撮影と並行して脚本家が脚本を書く。原作モノでもない限り、3話を撮影しているとき、6話で何が起こるかをスタッフも役者も基本知らないし、なんなら7話をオンエアしてる日に8話を撮影してることもザラにある。わたしに言わせると(何様だという感じだけど)、そんなんで面白いものができるわけがないだろう。「愛の不時着」は、本当に緻密だ。先輩助監督に「登場人物とロケ場所と小道具が多いドラマは駄作になる」と言われたことがあるけど、愛の不時着は登場人物もロケ場所も結構たくさん出てくる。しかし、出てくる登場人物にどうでもいい人が一人もいない。撮影に入る前に、全員がどういうバックグラウンドを持っていて、どういうものを食べて生きていて、物語の中でどういう役割を果たす人物で、というようなことを緻密に誠実に考えた結果だと思う。


愛の不時着を、ただのラブコメと侮るなかれ。この物語は、リ・ジョンヒョクとユン・セリの圧倒的ラブストーリーという側面と、二人にまつわるすべての人の人生を描いた人間ドラマであるという側面を素晴らしい比率で併せ持つ。韓国の甘々なラブストーリーだろうという理由で敬遠するのは本当にもったいない。



散文が過ぎるので、項目別に、愛の不時着の何が素晴らしいのかを紐解いていこう。



1. 愛情の深さを表現することに全てを費やした

愛の不時着に設定が近い日本のドラマとしてわたしが思い浮かべたのが、「花より男子」だ。

主人公・牧野つくしは、富裕層が集まる有名私立・英徳学園に通う高校生だが、その実、親の見栄で入学しただけで、めちゃくちゃ貧乏。英徳に通う道明寺財閥の御曹司・道明寺司は、自分に媚びず、曲がったことを許さない強い女つくしに惚れる。いわば圧倒的格差恋愛で、親を始め周りからの理解を得ないけど、司はつくしが好きだから、周りの意見を気にしない。つくしが悪いヤツに乱暴されそうになったときに、道明寺はボコボコに殴られてでもつくしを守る。つくしも最初は道明寺のことを憎んでいて、道明寺もつくしに対して素直になれず、お互い喧嘩しながらもしだいに惹かれていく。

当時観ていたわたしは、そんな「俺様」な道明寺にキュンキュンしっぱなしであった。わたし以外にもツンデレいい…とか言う人も多かったと思うし、中学生のわたしはそんな道明寺が大好きだったが、今のわたしはそうじゃない。

25歳になったわたしは、まじでツンを求めてない。本当に、ツン、いらない。

リ・ジョンヒョクは、愛情の深さを隠そうともしない。仕事中にセリから電話がかかってくれば、どんなにくだらない用事でも出続ける。シャンプーもボディソープもろうそくも下着も買ってくる。セリとキスしてしまった翌日には、きっちり婚約者に自分の思いを伝える。両親の前でもセリと手を繋ぐ。二人で傘をさしているとき、自分の肩が濡れている。

「悪いやつに捕まってる牧野を助けに行く」みたいな大きいイベントでない、細かい部分で愛の表現をひたすら積み重ねる。視聴者はリ・ジョンヒョクからセリへの愛情を刷り込まれ続けるわけである。「愛してる」というセリフより何倍も重みがある。これを、製作陣は計算してやっている。




以下に、なんて上手な脚本だろうと思った部分をいくつか抜粋していく。


●9話 南方限界線を越える直前のシーン

○外の道

セリとジョンヒョクが南方限界線へ向かっている。


○中隊員たちのいるあばら屋

ピョ・チスが南方限界線への行き方を中隊員たちに説明している。


○セリたちが川を渡って道を歩いている描写が入る


○中隊員たちのいるあばら屋

チス「…その道に沿って行くと南方限界線が現れる」

ウンドン「遠くないですね」

チス「まあ そうだな 往復しても1時間か2時間なら…」

ジュモク「…でも、もう時間が…」

グァンボム「もう朝なのに…」

チス「なぜ来ない」

ウンドン「道に迷った?」

チス「そんなはずはない」


○南方限界線近くの道

セリとジョンヒョクが歩いている。(ここからしっとりした劇伴が流れる)

ジョンヒョク、立ち止まる。

セリ「何か?」

ジョンヒョク「ここじゃない」

セリ「また?何度も違うって」

道の先を覗くセリの視界をジョンヒョクがさえぎろうとする。

セリ「さっき見た気が…」

ジョンヒョク「ここは道が似通ってるから…」

セリ「リさん 正直に言ったら?」

ジョンヒョク「何を?」

セリ「方向音痴よね」

ジョンヒョク「…」

チス(声)「中隊長は、この中で一番夜目が利いて、方向感覚が優れてる」

ジョンヒョク、微笑んで

ジョンヒョク「ああ」

セリ「(ためいき)」

ジョンヒョク「僕は夜目が利かないし、方向感覚もない

すまない」


○中隊員たちのいるあばら屋

チス「だから こんな時間まで戻ってこないのはーー予期せぬ事故が起きたか…」

中隊員たち「ええ?」

チス「少しでも一緒にいたいからだ」




上手すぎる。構成がうますぎる。

嘘をついていることをこんなに上手に伝える手法があったのかと感動した。セリにジョンヒョクの真意が伝わってないところがミソである。ジョンヒョクの愛の深さを伝えるのに適してる。愛は見返りとか求めないんで………





●7話 病院の外のシーン

病室でジョンヒョクに怒られ、外に出てきて泣いているセリ。

セリ「こんな時はーーどこか行きたいのに 車もないし 行くあてもない はぁ…惨めだわ」

セリ、振り返ると、ジョンヒョクがガードル台を持って立っている。

セリ「正気なの?!動いたらダメでしょ」

ジョンヒョク「風邪をひくぞ」

セリ「私を心配してる場合?!今日撃たれた人が まったく」

と、ジョンヒョクに近づいて、

セリ「腕を掴んで 病室に戻りましょ」

ジョンヒョク「さっきのはーー本心じゃない

すまない 言いすぎた」

セリ「分かったわ」

ジョンヒョク「…」

セリ「分かったわよ、謝罪を受け入れる

死なずにいてくれてうれしいからーーそれくらい許してあげる、だから早く戻りましょ」

(ここからしっとりした曲が流れる)

ジョンヒョク「…」

と、動かずセリを見ている。

セリ「何よ」

ジョンヒョク「帰りたがってたのにーーなぜ残った」

セリ「私だって帰りたかったわ

でも帰れなかったの

私も一度くらいーーあなたを守ってあげたかった」

ジョンヒョク「…」

セリ「意味深な目で見ないでよ」

ジョンヒョク「誤解しないでくれ 普通に見ただけだ」

セリ「違うわ、つかの間だったけど意味深な目だったわ」

ジョンヒョク「…」

セリ「ほらね、今も意味深な目で見てる」

そしてジョンヒョクがキスする…………………………………




このシーンのやばさは、キス自体ではない。もちろんキスも、ジョンヒョクのセリを見つめる目もヤバすぎるんだが、ポイントはそこじゃない。

まず冒頭の、「正気なの?!動いたらダメでしょ」というセリのセリフ。そして次の「風邪をひくぞ」というジョンヒョクのセリフ。

このドラマに特徴的だと思ったのが、セリとジョンヒョクがずーーーっとお互いの心配ばかりしているという点。「怪我はない?」とか「この傷どうしたの」とか、どんなに自分が大変なときでも、本当にずっと相手の心配ばかりしてる。軍事境界線だって、愛する人が怪我しているのに走っているという理由だけで超えられる。今まさに自分に手錠をかけられそうだってのに、「走るな」って言って軍事境界線を越える…。それを見るたび、「ああ、本当に好きな人に対してって、人間はこうなるんだろうな」って思った。

たぶんセリがジョンヒョクのこと好きだと確信した瞬間は、家に宿泊検閲がきたあと、ジョンヒョクがセリに「怪我はない?」って言ったときだと思うし、このセリフを言ったときにはすでにジョンヒョクはセリのことが好きだったと思う。


次にこのシーンは全体を通してこの二人のこのときの関係性を的確に表現してる。「死なずにいてくれて嬉しいからそれぐらい許してあげる」という素直になりたいけどなりきれないセリのセリフ。好きだと完全に自覚したジョンヒョクが、セリのことをじっと見てしまう感じ。非常にリアルで非常に上手い。感動した。





●12話 家でふたりで飲んでいるシーン

セリ「酔った」

ジョンヒョク「酔ってる?」

セリ「すっかり」

ジョンヒョク「よかった」

セリ「よかった?」

ジョンヒョク「酔ってるならーー言いたいんだ」

セリ「何が言いたいの?"きれい"って?」

ジョンヒョク「違う」

セリ「否定しなくてもいいのに じゃあ何?」

ジョンヒョク「北にーー帰りたくない」

セリ「…」

ジョンヒョク「帰るのがイヤだ」

セリ「…」

ジョンヒョク「君とーーここにいたい」

セリ「…酔いがさめそう」

ジョンヒョク「それは困る」

セリ「(飲んで)覚めてない、続けて」

ジョンヒョク「…」

セリ「すごく酔ってるからーー聞いても きっと忘れちゃうと思う、だからーー続きを全部言ってみて」

ジョンヒョク「…ここでーー君と結婚して 君に似た子供も欲しい」

セリ「…娘がいい」

ジョンヒョク「僕は双子がいい」

セリ「双子?また酔いが覚めそう」

ジョンヒョク「覚めないで」

セリ「分かった 続けて 他にやりたいことは?」

ジョンヒョク「またやる…ピアノを」

セリ「そうよ 私がコンサートを開いてあげる

その実力なら大きな劇場でも…いっそ劇場ごと買っちゃおうかしら 買えるかも」

ジョンヒョク「だいぶ酔ってるな」

セリ「酔っ払ったわ 永遠に覚めないかも」

ジョンヒョク「見てみたい」

セリ「?」

ジョンヒョク「君に白髪が生えて シワもできて 老いてゆく姿を」

セリ「…」

ジョンヒョク「きれいだろうな」

セリ「…当然でしょ ゆっくり年をとるつもりよ

見たければ、ずっと私のそばにいてくれないと」

ジョンヒョク「そうだな」

セリ「リさん」

ジョンヒョク「…」

セリ「そばにはいてほしいけど 外では飲まないで」

ジョンヒョク「?」

セリ「酔うと余計に魅力的」

ジョンヒョク「…」

セリ「他の女に見られると思うと、不安で夜も眠れなくなる だから家で飲んで」

ジョンヒョク「わかった」

セリ「約束だからね」

そして指切りをしますよと






号泣しましたよと

このシーン、一見するとアーはいはいというシーンに思いがちだが、本当にすごい点がいくつもある。

まず。会話冒頭に「何が言いたいの?"きれい"って?」を「違う」と否定しておいて、会話の後半で「白髪が生えて、シワもできて、老いてゆく姿」を「きれいだろうな」と微笑みながらつぶやくジョンヒョク。愛が深い。なんて美しいセリフ回しだろうか。あっさりやってるけどこれまじで技術だと思う。

次に。ジョンヒョクがピアノに対する今の想いを誰かに告げたのはたぶんこのシーンだけなんだよな。真面目な男ジョンヒョクがぽつりと本当の思いを吐露する。「帰りたくない」にしてもそうだ。真面目な北の軍人が、絶対に人前で口にしないこと。それをセリに告げるっていうのが、めちゃくちゃ重い意味を持ってくる。ここまで、ジョンヒョクの真面目なキャラクターを丁寧に描いてきたからこそこのセリフが生きる。

もうひとつ。「見たければ、ずっとそばにいてくれないと」というセリのセリフに対してのジョンヒョクの答えが「そうだな」であるということ。わたしは初めてこのシーン見たとき「それは無理だ」とか言うんじゃないかと想像した。ジョンヒョクの真面目なキャラクターなら、今までだったら、そう真面目に答えてたと思うんだけど、ここでジョンヒョクは「そうだな」と肯定する。この「そうだな」はいかようにも考えられる「そうだな」だ。「そうだな、一緒にいたい」なのか、「そうだな、一緒にいられないから、無理だな」なのか…。前者の場合、セリが以前言った「叶わなくてもいいから未来を思い描いてほしい」っていうような趣旨のセリフを、肯定するものになる。結婚して子供を持ってピアノをやる話にしてもそうだが、ジョンヒョクがセリの言うように、叶わなくても未来を描けるようになったという点で非常に胸にくるものがある。しかもそれがなお、酔ったときにしか言えないというところに、ジョンヒョクの抱えているものの重さがみえる。後者の場合は問答無用で切ない。

もう確かな技術に裏打ちされた切なさマックスシーンなわけである。ただのラブラブシーンと思ったら大間違いだ。




まだまだたくさんあるけど全部書いたら右手親指が腱鞘炎になりそうなのでここでやめておく。


愛の不時着は、作品中で何度も「韓ドラあるある」をイジる。「韓国のドラマではしょっちゅう記憶喪失になる」とか「韓国のドラマでは富裕層が子供の恋人に会ったら水をかけるか金を渡して別れるように言う」とか。さらに、決定的ないいシーンで雪が降りまくる。冬ソナかよ!!(見てないけど)。言わば韓ドラの「セルフオマージュ」と言えるだろう。

ここに、韓ドラへの圧倒的愛、圧倒的リスペクトを感じる。ジョンヒョクのセリへの愛情表現はじめ、数ある恋愛要素の背景に、今まで歴史的に培ってきた韓ドラの恋愛描写が感じられる。冒頭で言った「韓ドラの集大成感」はそこから来ている。徹底的に純愛を追求し続けた韓国ドラマの歴史がここに昇華したと言えるだろう。





2. 北朝鮮という場所が「別れ」をリアルにした

北朝鮮っていう場所を選んだ時点で、この話は勝っていた。

韓国ドラマは特にかもしれないが、「泣ける」ドラマでもっとも辟易する点が「人が死ぬ」ところだ。私たちが生きている先進国ではそう簡単に人が死なない。しかしドラマの中では人が死ぬ。若くして病気で、事故で、死ぬ人が身近にゴロゴロ転がっている。

わたしは「泣ける」ドラマで人が死ぬと一気に白ける。作られたものにしか思えなくなるから。人間はそんなに簡単に病気にならないし、通り魔に刺されることもないだろう。「○○しないと家族を殺す」と悪い奴に脅されるシーンとか、いや絶対ないから〜〜〜〜って思ってしまう。

だが、「愛の不時着」は違う。北朝鮮では、多分マジで人が死ぬ。ジョンヒョクはセリを匿ってたことがバレたら殺されるだろうし、セリも保衛部に見つかったら殺されるだろうし、耳野郎の息子もヨンエ同志の旦那もク・スンジュンも、殺されてもなんらおかしくない。普通だったら簡単に人が死なないであろう韓国に来てからさえも、チョ・チョルガンという北朝鮮のヤバい奴のせいで、セリもジョンヒョクもまじで死にかねない。

この時点でこの話はもう勝ったも同然なのだ。一番人の心を揺さぶる「死」「別れ」というテーマに圧倒的なリアリティを持たせることに成功したから。

ジョンヒョクの兄ムヒョクが殺されたことも、リアリティがある。兄が殺されたことが、ある程度仕方のないものとして扱われてしまう北朝鮮という国に生きているジョンヒョクの悲しみが深く伝わってくる。

耳野郎にしてもそうだ。実は彼が一番重いものを抱えているように思う。「僕の唯一の友に会いたい」と、自分が殺しの一端を担いでしまったムヒョクのことを思い泣くシーンは、涙なしには見られなかった。母親のことで脅されるのも、ムヒョクが看護婦を連れてきてくれるところも、北朝鮮であることで説得力があるから目一杯感情移入ができる。耳野郎のエピソードは本当に丁寧に描かれていてよかった。日本の1話50分10本の連ドラではなかなか耳野郎にあんなに尺を割けないと思う。


死と隣り合わせだからこそ、セリとジョンヒョクは常にお互いの心配をしていたのだろう。そして、「お金持ちと貧乏人」ならまだなんとかなるかもしれない。「先生と生徒」もそう。ただの遠恋だったらなんとかしろよと思う。けど、「韓国と北朝鮮」はまじで絶対ダメじゃん。全世界の人が分かるわ、まじ絶対ダメなやつじゃんって。そのくらい絶対ダメな二人が、絶対ダメなのに、惹かれあってしまい、どうにかして一緒にいられる道はないかともがき苦しむ。なんという説得力であろうか。こんなに説得力のある恋愛の障害は未だかつてなかっただろう。



北朝鮮の魅力は他にも。ピョ・チスたちがよく言う「○○の作戦を遂行していました」とかいう台詞(○○にはどってことない内容が入る。水道管工事とか)。面白すぎでしょ。魅力的な台詞でしかない。ピョ・チスが言う面白いセリフはたいてい、北朝鮮ネタであると言う事実。韓国に来たときのチスの台詞「我々が来るとわかって車をこんなに沢山走らせたのか?!」とか。もちろん、北朝鮮の村の体操とか、平壌に着いたときに流れる曲とか、超面白いし。ウンドンの戦闘ゲームのアカウント名「血のにじむ努力」ってネーミングセンスはまじでお腹痛くなるくらい笑った。パラサイトのお母さんの北朝鮮のテレビの物真似にしてもそうだったけど、北朝鮮ネタは全世界共通で笑える。笑っていいのかわかんないけど笑える。もう勝ちである。




3. 時代物的懐かしさと現代的テーマ

北朝鮮の人たちのメイク、服装、生活、すべてどこか懐かしい。ジョンヒョクがセリに麺を作ってあげるところ。ジョンヒョクがセリにコーヒーを入れてあげるところ。手順をかなりカット割って丁寧に描写するから、何故かただコーヒーをいれてるだけなのに泣きそうになる。時代物を見てるような懐かしい気持ちになる。


Netflix制作のセックス・エデュケーションを観て思ったこと。これは今の日本のテレビでは絶対に作れない。性的な描写が問題とかそういう話じゃなく、日本のメディアのリテラシーではこんな「先進的」な話は作れない、という、能力的な問題だ。そこまでではないにしろ、愛の不時着も、結婚という制度にこだわることに疑問を投げるような姿勢があるように感じ、新しい愛の形を提示するという意味では目新しいと思った。

実際、セリもダンも結婚しない。セリとジョンヒョクはスイスで定期的に一緒に過ごす関係を選んだ。結婚という形は「取らなかった」というより「取れなかった」わけだが、結婚しなくても、ふたりはおそらく幸せになっただろう(そう信じたい)。ダンは、ジョンヒョクとの結婚という形にこだわり続け、周りの知人から結婚マウントを取られまくる。しかし最後はク・スンジュンにもらった指輪をして、一人でかっこよく前を向いて生きていく。


では、劇中に沢山出てくる夫婦たちはどうだろうか。


セリの両親は20年も寝室が別で、どう見ても心がすれ違っているようだったが、セリが撃たれて以降は、一緒に病院で寄り添っている姿が見えた。

長男夫婦はわりといい夫婦だと思う。楽しそうだし。

次兄夫婦は言うまでもなく終わってる。こいつらの話をするとムカムカしてくるから思い出したくもない。

ジョンヒョクの両親も、上手くはいっていないようだったが、総政治局長もジョンヒョクのことを庇うとかするようになってきてから、夫婦関係が良くなったように見えた。

一番いい関係だった夫婦は耳野郎夫婦か。お互い寄り添ったいい夫婦だった。

ヨンエ同志夫婦もよかった。



つまり、結婚を否定するわけでもないのだ。あくまで、愛で結ばれているが結婚していないセリとジョンヒョク、結婚しているが愛の全くない次兄夫婦との対比があるだけである。結婚にこだわらず、どんな形でも愛し合っていればいいんじゃないか?ってことが言いたいんじゃないかなと。




4. 登場人物すべてが愛おしい

本当にこれに尽きる。特に、第五中隊のメンバー、耳野郎、村のおばさんたち、ダン、ク・スンジュン、ダンのお母さん、保険の人。


話が少しそれるが、アクションが本当に素晴らしかった。

セリの病室前で、次兄が連れてきたボディガードをジョンヒョクが一瞬で片付けるシーン。日本のドラマだったらあっちの壁にぶつけてこっちの壁にぶつけてガン、ガン、ガン、ガンッで蹴ってボン、くらいダラダラと尺を取りそうなところ。ジョンヒョクはまじで2,3秒で片手で投げる。カット割りも上手い。その効果あって、北朝鮮の軍人のマジな強さが伝わる。


しかし何より、このドラマ全体の一番の見どころと言ってもいいくらい素晴らしいアクションシーンが、13話、チョ・チョルガンとの対決シーンの一連の流れだ。車から降りて戦う第五中隊のシーンはまじで、かっこよすぎて手が震えた。何故あんなにかっこよかったのか。

アクション技術のレベルの高さもさることながら、とにかくそれまで一貫して、ピョ・チス始め中隊メンバーを丁寧に描いてきたからに他ならないだろう。ジョンヒョクを探すのに失敗しまくるどん臭さ。水道から温水が出ることに感動して大騒ぎしてる可愛さ。ピョ・チスはずっとセリと口喧嘩してきて、ジュモクは可愛いニット帽かぶってチェ・ジウに会って泣いて、ウンドンは耳ピコピコする帽子買って喜んでる。

そんな中隊員が、韓国人の大人数相手に怪我ひとつ負わず圧勝するから、手が震えるほどかっこいいと思うのである。あのダサいピョ・チスがめちゃくちゃ強い(彼に関しては体の使い方がマジで上手かった。まじで殺陣が上手い人だ)。いつも口喧嘩ばっかしてるセリを守るために戦ってる。サウナの腕輪のシステムもわかんないグァンボムが「風が冷たいです、中にいてください」とかセリに余裕で話しかけながら敵をぶん殴り、チェ・ジウに会ってもう思い残すことはないとか言って泣いてたジュモクが「こう見えても、特殊部隊員です」とか言いながら余裕でボコボコ倒していく。温水の出ない、しょっちゅう停電する国の軍人が、ひとりの女性を守るために資本主義国のチンピラを余裕で倒していくからこそ、死ぬほどかっこいいのだ。

本当に好きなシーンだな。心からワクワクした。中隊員たちのキャラクターへの製作陣の愛を感じた。



続いて、以下に、愛しいキャラクターたちの、なんて素晴らしいシーンだろうと思った箇所を一つ挙げる。


●12話 ヨンエ同志の世帯主が捕まった後

○村の洗濯場みたいなところ

ヨンエ同志の世帯主が捕まって、ヨンエ同志が家に篭りっきりだから、食べ物や薪に困ってないだろうかと村人たちが心配している。人民班長のおばさんが「保衛部がお怒りだから、ヨンエ同志の家に行ったことがバレても庇えないから、行くな」とみんなに忠告する。


○ヨンエ同志の家

ヨンエ同志が息子と話してると、外から門をたたく音が聞こえる。

ヨンエ同志は息子に「ここに座ってなさい」と言って恐る恐る外に出る。

ヨンエ「どなた?」

ミョンスム「ヨンエ同志〜」

耳野郎の奥さんミョンスムがいる。

ヨンエ「!!なぜ来たの」

ミョンスム「食べてください」

と、ジャガイモの載ったカゴを差し出す。

ヨンエ「!!!まったく 食べ物くらいあるわ、いいから持って帰って」

ミョンスム「でも…」

またノックが聞こえる。

オククム「ヨンエ同志〜」

ヨンエ、驚いてまた門を開ける。

オククム「蒸しパン、お好きでしょ?よかったら…」

オククム、門の中に入ると、ミョンスムに気付く。

オククム「来てたの?」

ミョンスム「さっき…」

ヨンエ「怖いもの知らずね、見つかったら大変よ、早く帰って!」

オククムとミョンスム、ヨンエの手を握って、

ミョンスム「しっかり食べて、元気を出してくださいね」

オククム「そうですよ」

ヨンエ同志、手を払って、

ヨンエ「聞こえなかった?!帰れと言ってるのに!早く行って!帰って!」

と、門を開けると、台車いっぱいに薪を乗せた人民班長が来る。

人民班長「ヨンエ同志〜!そこにいたんですね」

ヨンエ「…」

人民班長「ヨンエ同志、薪がないだろうと思って、持ってきました、部屋を暖かくしていないと、体も…」

と、ミョンスムとオククムに気付く。

振り返ると、他の村人たちも3人、食料を持って来る。

人民班長「わたしが忠告したっていうのに」

ヨンエ「ここへ来たら危険なの!だからみんな帰って」

と、泣き出してしまう。

オククム「ヨンエ同志〜」

ヨンエ同志、しゃがみこんで泣き出す。

ミョンスム「元気を出してください」

人民班長「ヨンエ同志、泣かないで」

「頑張って」

三人、駆け寄ってヨンエ同志をなぐさめる。






なんだかしらないけど、このシーンが大好きで…。それまで、夫の昇進のために、ヨンエ同志(旦那が偉い人)のところに貢ぎ物を持ってってたりした村の人たちが、ヨンエ同志の旦那が捕まってからも来るということ、いつも高圧的でプライドの高いヨンエ同志が、強い口調でみんなを帰らせようとするけど、ほんとはみんなの家が巻き込まれるのを心配してるからだということ、さらに人民班長も、みんなが捕まることがないように、みんなには来るなと言っておきながら自分が来るということ、なんかそういうのが一気に胸にきてたまらなくなってしまうシーン。ベタといえばベタなんだけど、これも北朝鮮の不穏さに説得力があって、それでもその危険な中食糧とか薪とか持ってくるっていう、しかもあの、夫の昇進のために自転車漕いで発電とかしてたあの人たちが!というのがなんか、、、泣いちゃうんだよな。





5. 謎のストップモーションのあとの数分間

韓国ドラマあるあるらしいが、話の最後のカットが、突然ストップモーションになってちょっと絵画タッチのエフェクトがかかり、その回のいいシーンがスライドショーみたいに流れてくる謎の時間がある。愛の不時着では、それのあと、「本編で描かれていた出来事の裏で、実はこんなことが行われていた」的なことが3,4分の尺で描かれる。

これが、非常によい。言葉で説明しにくいんだけど、「セリとジョンヒョクは同じ時間を生きている」っていうのが実感としてわかるというか、本編の外が描かれることで、物語の時間軸の外でも、セリとジョンヒョクが本当に生活しているかのような説得力が増される。なんかやたらグッとくる。

その数分間も含め、全体として、スイス編や、セリの子供の頃の海、ムヒョクのシーンなど、回想シーンの入れ方が完璧だと思う。1話ごとじゃなくて、16話を見渡して、すべての伏線が生きてくるように見事に回想が配置されている。だから、多少ありえないだろうっていうスイスの運命的な出会いも納得させられてしまうし、ムヒョクの時計のこととか、セリの海とか、序盤の回からパラパラと種を撒かれて、後半繋がってくるときの説得力がすごい。

日本のドラマは全体の見通しがまじでないのが多いから、黒幕っぽいやつの名前とか存在がチラチラ出てくるけど、最終回の台本できるまでPも役者も監督もその黒幕が何をしたやつで主人公とどういう関係でキャスティングも決まってないなんてこともある(それでも視聴率平均10%とか取ったけど、最終回のオンエアで黒幕わかってめっちゃ叩かれたけど)。

やっぱり説得力だな。セリの海のシーンがあるから、セリの心の闇がわかって、高飛車で強気なセリのことを観客が愛するようになる。

日本のドラマの伏線は近場で回収されがち。古沢良太の脚本好きだけど、ああいう「伏線回収のための伏線」じゃない、「説得力のための伏線」なのが美しい。チェ・ジウとお食事みたいな、伏線回収のための伏線も素晴らしい。全部素晴らしい。全体を見渡して配分も含め考え抜いた結果できることだと思う。





6. ヒョンビンが顔天才すぎる

これは本当に紛れもない事実すぎる。ヒョンビンの見目麗しさ故に成立する話と言っても過言ではない。リ・ジョンヒョクしがスーツに着替えまくるシーンは本当に、本当に、本当にありがとうございますといった感じだ。美しすぎて涙が出た。

が、ここ数日ヒョンビンが出てる過去作を観漁った結果、ヒョンビンはもちろん良いけど、私たちがこんなにも愛してやまないのはリ・ジョンヒョクしだということを再確認した。やはり、リ・ジョンヒョクしがサランクンであるから、わたしたちはこんなに夢中になってしまうんだ。ちなみにサランクンは日本語字幕で「いちずな男」と訳されていたが、多分ニュアンスが違うんじゃないかと思う。日本語にはサランクンに対応する単語はない。韓国にはサランクンな男性が一定数いるのだろうか…日本のドラマにももっとサランクン登場してほしい。






さすがに親指が疲れたから、まだまだ書きたいことはあるけど、ここまでにする。敢えて王道の名シーンは描写しなかった。一番最後に軍事境界線を越えるシーンとか、セリが病院に入ってからとか、もう全世界誰が観ても感動するだろうし、わたしごときが何も言うことはない。けどそれらがこんなにも歴史的名シーンとなり得たのは、1話から積み重ねられてきたキャラクターへの愛のおかげだということを重ね重ね伝えたい。


「笑って泣ける」は素晴らしい。学生時代のわたしは、人に簡単に理解なんてされたくなくて、わかる人にだけわかって貰えば良いと思っていた。ドラマや映画に求めるものも一緒で、ほどんどの人が星3つをつけてもいいから、だれかひとりでもいいから、星5つをつけて、一生心に刻んでもらえる文学的な作品を作りたいと思っていた。それは心のどこかで、全員に星4つをつけてもらえる王道ドラマをバカにしていたからだと思う。そんなの方法を知ってれば簡単に作れるよと。

でもこの仕事を始めて思うのは、前者を作ることは後者を作ることより難しいということと、全員に星5つをつけてもらえるものを作りたいと思わないといけないということ。おじいちゃんが観ても、ギャルが観ても、うちのお母さんが観ても25歳独身女性が観ても面白いものを作りたいということ。そういうドラマは、おそらく自ずと誰かに一生心に刻んでもらえるものになるだろうということ。


愛の不時着を観て、日本のドラマの下っ端助監督として思ったことは、今の日本のテレビ局では、これを超えるドラマを作ることは絶対に不可能だということ。いつかどこかで何か姿勢を変えないと、日本のドラマはどんどんつまらなくなる。だから頑張ろう。そうわたしの世界が変わった。


生活に奮闘する25歳独身女性としては、愛の不時着を観て以来、めちゃめちゃ運動嫌いだったわたしが毎日ランニングしてワークアウトして痩せようとしてるし、韓国コスメ買い集めてるし、歯列矯正しようとしているという…いつかヒョンビンに会ったときにできるだけ最高の状態になっておきたいので………………………


わたしの世界変わりすぎである。




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