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264.こぐまちゃん

4月から社会人となった長男の赴任先の広島に、夫と出かけてきた。
赴任先が決まってからのあれこれや、広島駅に着いてからのあれこれは、追って書くとして。
平和公園を抜けて、広島城へと向かう途中で、こぐまちゃんに出逢った。
道路の向こうに、「こぐまちゃんとしろくまちゃんの大きな看板」が見えた瞬間、中に入ることは暗黙の了解だった。

(なんて、なつかしい!)

どのくらい、読み聞かせをしたか数えきれない。
起きているときも、添い寝のときにも。夫も私も。
何度も、何度も読んだ。

息子は、私たちが読む言葉を、すぐに暗記して、ページをめくる前から、フライングしていた。字は読めないのに、ぜんぶ覚えて、くりかえしていた。
大好きなシーンが、いくつもあって、笑い転げていた声が、耳元によみがえる。

こぐまちゃんの成長は、息子の成長だ。
こぐまちゃんは、2さい。
おまるに座っているこぐまちゃんの絵に、おまるを使っていた息子の姿が重なる。

絵本の中で、こぐまちゃんとしろくまちゃんがやっていることを、息子もわたしたちもやってきた。

『たんじょうび おめでとう』という、こぐまちゃんシリーズ最後の絵本で、こぐまちゃんは、3さいになる。

息子の3さいのたんじょうびに、その本をプレゼントしたことを、思い出した。

そうして。
息子の年齢は、夫と私が「父と母になってからの年齢」だということに、気がつく。

展示されている、どのシーンをみても、当時の生活が浮かんでくる。
新築のマンション。
たくさんの「初めて」が刻まれているリビング。
なんども、いっしょにひらいた、こぐまちゃんの絵本。

現実の息子は、22歳なのに、一瞬で、20年前に逆行できる。

特に、2さいから3さいの日々は、激動のかわいさで、その記憶は全く薄れない。
現実の息子が30歳になっても、40歳になっても、50歳になっても。

息子にとっては、迷惑な話だと思うけれど。

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浜田えみな

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