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無価値観の概念が変わりました。

医学的に「無価値観」による精神的な二次障害が発生するといわれています。
「自信がなくなる」
「承認欲求が高くなる」
「行動言動に不安をおぼえる」
「生きる意味とはなんだろうという考えに陥る」
などとあります。

ここでの「無価値観」とは、「自身がおもっている理想の私は存在せず私は無価値である。他人が思う『私の価値』と、私が思う『私の価値』は違い、理想とする価値観とは存在しない」ということを言っています。

昔から私は、「~すべき」「~できないことはわるい」などという言葉にとらわれていました。
「すべき」事象に「責任感」をもって取り組む「べき」だ、と考える毎日に疲れ果て、ストレスがたまり、挙句の果てにうつ病になりました。

そもそも不安障害やASDの傾向があると治療を重ねていくうちに判明し、私が行動したことや、将来が不安でいっぱいになり、私の存在は不要だと考える「無価値観」に悩まされていました。

しかし、カウンセリングを重ね、前向きになれるようにと心理学の本を読み漁る日々を過ごし、私の「無価値観」の意味合いが変わってきたのです。

ある日を境に、私は「無価値な存在」だからこそ、何が起きても仕方のないことだし、うまくいけばラッキーと思えばいいのでは?と考え出したのです。

例を挙げます。
以前の私は、病院へ行く数日前から緊張が始まり、診療が終わるまで緊張しっぱなしでした。先生との受け答えが正しいのか?きちんと治療できているのか?などと不安を覚え、緊張していました。
しかし、「私は無価値だから、病院の先生たちにどう思われようがいいか~」と考えていると緊張がなくなり、ただ先生と素直に受け答えをすることができました。

「あぁ、失敗した。わたしなんてダメダメ人間だ」
ではなく
「あぁ、失敗した。まぁもとから私は価値がなく、それはできないことだったんだろう。仕方ないか」
と、開き直りのようなものです(笑)

「理想の自分」が高すぎたがゆえに、「できない自分」を攻めて「無価値観」におぼれていました。

ですが、
「理想の自分」とは存在せず、もともと私は「無価値」なのだから「できた自分」だけを評価し、「価値」をつけていくことが人生なのかなと思うようになったのです。

どうでしょう?
「無価値」っていう言葉は同じですが、とらえ方次第では世間でいうポジティブ思考のような言葉になっているのが書いてても不思議です。

人にどう評価されようが、私は私なのです。
不安であれば、知識という価値あるものを本などを読んで身に着ければいいのです。そうすれば教養ある人となり、不安が減ります。
生きる意味ってなに?と考え出したら、私が私で存在し続けることを思い出すようにしています。

「無価値」な私ですが、この記事を読んで「価値」ある私だと受け取る人が一人でもいたらいいなという気持ちで書いています。

「無価値」って悪いものでしょうか?
そこに「価値」を見出し、「価値」つけることが大事なのだと思います。
それは人に対してでもです。

うまく気持ちを表現できているかわかりませんが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

えみり


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