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だんだん貧しい人が増えたらどうなる?

私は今、「住所不定無職」をお休みして、北海道のとある場所でアルバイトしています。
なぜアルバイトをしているか、という理由については、ここでは触れないことにして、アルバイトをして感じたことを書こうと思います。

家政婦は見た!

家政婦は見た!っていうテレビ番組をご存じですか?(家政婦のミタ、とはちがいます)

私が子供のころ、両親はよくこのドラマを観ていて、私も一緒に見たような気がします。女優の市原悦子さん演じる家政婦が、いろいろな家庭に入りこみ、そこは、家政婦さんを雇うくらいのお家なので、当然裕福で恵まれているはずなのに、なんだかそうでもない・・ということを暴いていくというドラマでした。

家政婦は見た!以外にも、ビジネス系の雑誌記事などに、「銀座のママが語る一流とそうでない人の違い」とか、「CAが語るファーストクラスに乗る人の品格」とかそういうのがよくあります。
趣旨は一緒で、一見、サービスの提供側は、ニコニコとおとなしく、サービスの受益者のニーズに応えるサービスをしているのですが、実はいろいろなことを見定めている、ということです。

私もかつてそう思っていた、今もそう思っている

私は新卒で百貨店に入社しました。その百貨店は郊外の富裕層が暮らすエリアにあり、常連のお客様には、裕福な方がたくさんいました。仕事のひとつに、そういったお客様との「雑談」があったので、いろいろなお話をお聞きしました。
20代の若かった私は、その時、結構衝撃を受けていました。
「お金持ちだからって、幸せなわけじゃないんだ」
「お金持ちだからって、立派な人とは限らないんだ」
「お金持ちだからって、頭が切れるわけではないんだ」

私は久しぶりに「お客様相手」のアルバイトをして、再びこのことを痛感することになりました。
そして、私が20代の頃よりも、その裕福な人たちの「品格の低さ」は増していっているような気もしています。

開く貧富の差

私が若かったころ、1980年台は、ただ年齢を重ねていけば、収入は上がる、という時代でした。だから、私はお金持ちのお客様を見て、「うらやましいなあ」とは思うけれど、自分が惨めな気持ちになることはありませんでした。自分もお金持ちになれる可能性があると思っていたからです。

でも今の若者は、品格の低い小金持ちの人(私が今アルバイトをしているところは、中上級のホテルで、小金持ちというのは、年に数回4人家族でディズニーランドに行って、泊まって、というようなことができるくらいの経済レベルの人たちです。)
を見て、あまり良い気持ちにならないだろうということは想像できます。それは実力の差でもなんでもなく、単なる「運」の結果の違いだからです。

ここで働く若い彼らは、将来、1回に十数万をかける家族旅行に行くことができる可能性は低いのではないでしょうか?

アルバイトの人たちは、「気楽」に「一時的」にはたらいているので「ま
だまし」
なのかもしれません。見ていて気の毒なのは正社員の人たちです。お客様に尽くすことを徹底的に教育され、低賃金で長時間労働で責任だけを課されて働いています。(もちろん、やりがい、生きがいを感じて働いている人はいるでしょうが、働く環境はかなりブラックです。)

このことは、私のアルバイト先のことだけに限らないことは明白です。コンビニや宅配便、安くておいしい外食、Uber Eatsなど、私たちが便利で楽しく暮らせる仕組みの向こう側には、必ず、低賃金で働いている人たちがいる。それも、ものすごく多くの人たちがいるのです。

よく、介護職や保育士の低賃金、ひとり親世帯の貧困などが話題になりますが、もっと身の回りにたくさん、低賃金で働いている人がいることに、私たちは無自覚になりがちです。

「パンが食べられないならケーキを食べればいいじゃない」

マリーアントワネットが放ったこの言葉を今日、無知だと笑える人がどれだけいるでしょう。

宅急便がちょっと遅れたら、「急いでいるのに」「時間指定しているのに」とクレームすることは、「ケーキ発言」と一緒なのだと思うようになりました。

逆に時間の約束をしているのに、「ちょっと待ってほしい」「後でもう一度来てほしい」などということも同じです。

ちょっとした名のある名店でのサービスが悪かった、と愚痴る人は、そこで働く人がいったい、いくらの報酬で、どのくらい過酷に働いているか、わかっているのでしょうか?

自分が支払った金額に対する対価として、それなりのサービスを求めるのは当然である、と思うこと自体が、もうすでに無知なのだと私は思います。
過去の自分への反省も含めて、しっかり世の中を見る必要があると、今私は心から思います。

増え続ける貧しい人たちは今後どうなっていくのか

多くの企業の経営者は、競争に勝ち抜くため、生産性を上げるために、低賃金の働き手に対して、熟せないほどの量の仕事を与えています。だから、彼らは「ほんのちょっと」のリクエストを快く受け入れられないくらい、疲弊しています。

おとなしい多くの日本人は、「承知しました」と快く返事をしていますが、心からそう思っている人は一握り。裕福な人たちよりもリアルワールドを知っている彼らは、裕福で無知な人たちの、その想像力のなさをあざ笑っているような気がします。市原悦子さん演じる家政婦、ファーストクラスのCA、銀座のクラブのママと同じように。

そして、もっともっと心の疲弊した人たちは、あざ笑うよりも、恨みがましく思う人もいるかもしれません。最近、そういう人が増えているように私には思えます。

何年か前に、飲食店の従業員の不適切なSNS投稿が話題になりました。「あんなひどいことをするなんて」と思った人はたくさんいたでしょう。当時私もそう思いましたが、今は、あり得る、と思える。私がその立場だったら、そうしたい気持ちもわかる。と思っています。

その後、多くの企業は、従業員のSNS利用に関する規定を設け、罰則規定を作っています。だから、不適切投稿はなくなったけれど、「渦巻く不満」が消えたわけではないのです。

フランス革命のとき、貧困層にあった人は、全人口の90%近くいたといわれています。この人たちの心に渦巻いたおおきな不満が、歴史に残る革命を起こさせたのです。
貧しい人がこれから増えたらどうなるんだろう。いや、私自身も貧しい人になり得るんだ。いや。誰でも。そうなったらどうなるんだろう。

「近くと遠くの両方をみること」

私は今年のテーマを「近くと遠くの両方をみること」としています。
今日書いたのは、アルバイトをして考えた「遠くのこと」です。


遠くのことを考えて、今日のように発信しつつ、自分ができる「近くのこと」を考えるという1年にしたいと思っています。

これを踏まえて、私が「近く」でできることはなんだろう。
今思いつくことは、下記の3つです。
1.リアルワールドを自分の目で見ること
2.自分の目で見る以外にもほかの人の知見を自分に取り入れること
3.それを踏まえて、どんなリスペクトの姿勢が求められるのかを考え、実行すること

私にできることはなんて小さいんだろう。
他にも何か、できることがあるはず。

まとめ

今日はアルバイトをしていて感じたことを書きました。ほかにもいろいろ考えたことがあります。SDG’sについて、サービス過剰な日本について、などなど、また近いうちに書きたいと思います。

今夜もよい夢を見られますように




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