見出し画像

生理前の鬱期に暗い映画が観たくならない?


生理前の鬱期間に入ると
思い切り暗い映画が観たくなる。


暗い気持ちに追い討ちをかけるように
心の傷をさらに刺激するような
重たいものを欲するのである。


私はこの現象をとても面白いと感じ
普段は観たくならないものを求める
自分自身の心の変化が気になる。


私の母は暗いものが苦手なようで
暗い映画を観ていると「暗い!」
とあからさまに嫌そうな顔をする。


私も以前は明るくて前向きになるような
ミュージカルやハッピーエンドの作品を
好んでいたため、暗い作品に対する
嫌悪感が分からなくもない。


ただ、今の私の目には



自分の光だけを見ていたい…
闇なんか見たくない…


そんな気持ちが隠れてるようにも見え
暗さを極端に嫌悪するのではないかと思う。


暗い時には明るい気分になるものを観よう!
という人がいるけれど


このセリフこそ
ネガティブには蓋をして光だけを見よう!
と暗さを否定するセリフでないだろうか。


そんな母に育てられた私は
母が自分の闇を認めなかったように
私の闇も認めてもらえず
光だけを愛するように育った。


失敗も、落ちることも、病むことも
全て禁じられたように感じた。





ドラマ「ひかる君へ」でまひろ(紫式部)が
清少納言の枕草子を読んで


私は中宮様の光だけではなく
闇の部分も知りとうございます


と言ったシーンがある。


それに対して清少納言は
中宮様には光しかございません!
と半ギレで言い放った。


みんなの記憶に光り輝く中宮様の
面影だけを記憶したいのだそうだ。


光があれば影もある。


光は自分を照らしてくれるもので
その影にこそ自分自身が現れている。


それが自然の摂理であり
そんな表面的な美しさだけでなく



その人の影も含めて知りたかった…
もっと深くその人を知りたかった…



そんな気持ちがまひろのセリフには
含まれてる気がしたのだが


これが事実なのだとすれば
この差が二人の作品の違いなのかも
しれないなどと思ってみたりした。


枕草子も源氏物語も読んではないけどね。


自分の闇から目を逸らし続けると
私たちはいつしか病んでしまうのは
実はあまり知られていないだろう。


光だけを… 正義だけを愛し
闇や過ちを嫌悪し続けていると
ネガティブな感情から逃げ続けると
心は壊れてしまうからだ。


私はほとんどの人の心は壊れていると
思っている。


うつ病だ、毒親だ、アダルトチルドレンだ…
そんな言葉を耳にする時代になってきたけど


私にしてみれば、みんなうつ病だし
毒親だし、毒娘だし、毒息子だし
毒友達で、毒兄弟で、毒教師だ。


みんなアダルトチルドレンで人生迷子だ。


そんな大人たちが子供を産んで
育てているのが現状だ。


たいては自分が親にされたことを
そのまま子供にして負の連鎖を繰り返す。


自分一人幸せにできない人間が
子供や他人を幸せにできると思ってることが
そもそも傲慢なのではないか。


自分の闇から目を逸らしてきた人は
いずれ自分の闇とご対面することになる。


だけど、本当に痛みを伴うので
できれば一生避けて通りたいのも分かる。


暗い映画を求める気持ちは
自分の中にある重苦しい感情を
相殺してくれるような感覚がある。


自分一人では感じきれなかった
あの時の心の痛みや悲しみを昇華する。


そんな作用があるような気がして
私は生理前の心も身体も重い時期に
心が重くなるものを欲するのかもしれない。


感じることを避けてきた
私の中のネガティブ感情と出会うため
私はあえて傷口を抉る行為をしている
のかもしれない。


それは私の一部を受け入れる行為。


最後までお読みいただき、ありがとうございます♡