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幸せねと伝えるワケの三択

○○ちゃんは幸せね…

と言われたことが2回ある。

1回目は叔母から

幸せな理由は、両親が近くに住んでいるから

2回目はつい先日友人から

幸せな理由は、優しい夫がいるから


幸せね…と言われると私はいつも返答に戸惑ってしまう。

だって、叔母だって近所に子どもや孫が住んでるし、なんなら私よりお金もある

友人だって、かわいい子どもとカッコいい旦那さんがいる

なんなら私の旦那は、ビジュアルも優しさも人並みだ…


なんで敢えてそんなこと言ってくるのだろかと不思議でならないのだ。

言われたことに対して私はどう返事をすべきなのだろう。

そんなことないよ!と否定すべきなのか

そうですね、ありがとうございます!と肯定すべきなのかもよくわからない


その場は何とかしのぎ、帰ってきてから1人で考えてみた。

なぜ彼女たちは私が幸せだと断定し、さらに口に出して告げたのか…


【幸せだね~とわざわざ言う理由三択】

①単純にイヤミ

②隣の芝生が青かったから…つまり私は彼女たちより本当に幸せそうに見えたから

③(意味わからないけど)とりあえず私をほめようとした


いろいろな角度から考えようと3つの選択肢を絞り出してみたけどやっぱりよくわからない…

場合によっては①や③で言ってくる人もいるだろうけど

…たぶん状況や前後の話を総合すると私の場合は②なんだろう。。。


でも私から見れば、敢えて同じような立場の人に言われるほど幸せでもないし

(もちろん、基本的に幸せとは言える立場だけれど)


…と考えていて、もう1つ思い出したことがある

数年前、もう少し子どもが小さかったころ、別の友人に


○○ちゃんは悩みなさそうだよね、いいなぁ~


いや、一見イヤミを言われたようにも感じるが至って友人は本気。

私はこう答えた


いやいや実は結構いろいろあるよ~(笑)


友人は当時すごく色々と悩んでいた。

それをフンフンと私は聞いていた。

当時の私も実は友人と同じくらい困っていたのだけれど

表面には見せていなかった。


今は、友人も私も、それなりに平和で幸せで元気。


最近、芸能関係の方の悲しいニュースに触れることが多いけれど

美貌を持っていたって、才能を持っていたって、幸せそうに見えたって、

それは他人から見た感想で、本人が感じていることじゃない

…と思い知らされる。


他人からどう思われていようと

自分が幸せなら幸せで、辛ければ辛い、出来ていないなら出来ていない

そういうことなのだと思う。

大丈夫だよ!と言われたって

自分の中で大丈夫と落とし込めていなければ大丈夫じゃないのだろう。

幸せね!と言われたところで

自分が幸せだと思えば幸せ、幸せじゃないと思えばきっと幸せじゃない


大切なのは隣の芝生が本当に青いかどうかを確認することではなく

自分の芝生も青いと思うこと。

もしどうしても青くないなら、どうしたら青くなるのか考えること。


私を幸せだと思った叔母と友人の芝生も青でありますように

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