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洗濯

練習試合がないとこんなに落ちついた心境でいられるんだと我ながら苦笑い。モヤモヤが消えたわけではないけれど「あの子たちが勝って終わり甲子園に行けますように。笑顔で終われますように」と祈るようになっている。これが今の私の等身大(笑)

練習着の汚れをウタマロでゴシゴシこすりながら、毎日こうやって洗うのも終わりが来るんだなあとしみじみした。引退後も時々は練習に行くだろうけれど毎日毎日洗うことはなくなるんだ。もう何年も野球着の洗濯が当たり前になっているからやけに寂しくなった。学校には卒業があるし会社にも定年がある。子育てもいつか終わる。人の命も限りがあり別れが必ずある。永遠に続くものはないのだ。
練習着の洗濯から、とんでもないほうへ想像が広がった。ドロドロが取れなくてイライラしたり、疲れて洗濯する気が起こらなかったり、逆に汚れがひどいとたくさん練習できたなあとか、ユニフォームが汚れていた日は試合に出られたんだなあと嬉しくなったこと、いろいろな思いが浮かんできた。

ありきたりだけれど、なんでも当たり前なことではなく、洗濯ができるのも、息子が野球をやっているからで、頑張った証が汚れで、洗濯大変だわと言えるのも、ある意味幸せなことなんだと思えた。
さあ、明日もとことん汚して帰っておいで。寂しさ感じながらゴシゴシ洗うからね。


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