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<おとなの読書感想文>空飛ぶ馬

久しぶりに行った書店の本棚は、ガラガラでした。仕入れも整理も追いついていないらしく、小さなことだけれど、まだ日常が戻ってきてはいないのだな、としんみりした気持ちになります。
薄く積まれた文庫本コーナーの中、高野文子さんの装画が目に止まり、新しい本に飢えていたわたしはさっそくレジへと向かったのでした。

「空飛ぶ馬」(北村薫 東京創元社、1994年)

今まで推理小説には縁が薄く、アガサ・クリスティーもコナン・ドイルも江戸川乱歩も、満足に読んだことがありませんでした。
子どもの頃によく見たアニメーションでは、主人公の行く先々で殺人事件が起こり、これでは真っ先に主人公の犯行を疑うべきではないかと思うような展開ばかり。まあ、シリーズ物のミステリーってそういうものなのかな、ぐらいに思っていたのでした。

「空飛ぶ馬」の謎解き役は、女子大生と売れっ子噺家という一風変わったコンビです。
「わたし」が気づいた、あるいは誰かから提示されたちょっと不可解な出来事の真相を、名探偵・春桜亭円紫師匠とともに解き明かしていく日常ミステリーです。

円紫師匠の得意な噺に、「夢の酒」というのがあります。
「わたし」がこの噺を聴きながら「いたわり」と表現するのですが(彼女は幼い頃から黄表紙を絵本がわりに読むような文学通で、落語も好きなのです)、師匠の人間性を垣間見ることのできる最初のシーンです。

店の奥で居眠りをする若旦那、女房が起こすと、良い夢を見ていたと言う。その夢の内容を聞き、女房はやきもちを焼く。。。
実際、落語に詳しくないわたしは夢の酒の音源を聴いてみることで、筋書きからだけでは読み取れないおかしみや情緒が、語り手の力で広がっていくのがよくわかったのでした。

収録されている物語中に、殺人のようなおおげさな事件は起こりません。しかしふとしたことで現れる人間の心の闇、悪意のようなものは、確かに存在します。

読んでいてずきりと痛むことがありましたが、円紫師匠という優れた語り手によってただ悲惨なだけの話ではなく、人間味のあるドラマとして味わい深いものになっているのが、この小説の魅力だと思います。
わたしは、主人公の女子大生が友人や家族との関わりの中で比べたり、反発したりしながら揺れ動く様子に、うんうんとうなずくことが多かったです。

何より物語の中に遊べる、その楽しさを存分に味わわせてくれる、心に効く1冊なのでした。

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