あゆはマーケティングの産物なのか?
あゆを好きって言いづらかった。
私は10代の頃浜崎あゆみがとても好きで。
大学くらいまでは好きだったんだけど、卒業したくらいにあまり街でも聞かなくなり、私自身も聞かなくなった。
でもたぶん聞かなくなった1番の理由は、周りの人にあゆの悪口をたくさん聞かされたから。業界の人、特に彼氏とか信頼する先輩とか。信頼する人があゆはこんなにひどい人だ、みたいなことを私に言うんだよね。
辛かったんだろうね、私。どっちも好きだから。
そしてあゆは芸能界的には没落していった。
それでもカラオケ行ったら必ず歌ってたし、サブスク解禁されてからはわりとマイナーなアルバム聞いて喜んでたりしてたけど。
やっぱりM事変よね。
衝撃のエッセイ
でさ、やっぱちょっとバカにしなきゃいけない感じ装っちゃってたわけ。
発売日に買ったのに。30分で読んだとか言って。どんだけ夢中で読んでんだよと。
そうしたらこのコラムで、肯定しててくれて。
あゆの歌詞が好きだった。今も好き。
でもあんなのマーケティングで全部書いてるって当時のギョーカイの彼に言われた。
すごく悪いことをしているような、すごく自分にセンスがないような、そんな気がして、
で、昨日、あゆはマーケティングなのかな?って話をしたんだけど、その人はそうじゃないと言ってくれた。ある程度近いところであゆに接したこともある人で、さっきのコラムにあるような言葉でちゃんとあゆを認めてくれた。
私はそれを聞いて自分も認められたような気持ちになって、20年来の呪いがとけていくのを感じたの。
あゆを受け入れるということは自分を受け入れるということ。
あゆを否定されるのは自分を否定されるということ。
これからも聞きたいと思ったら聞くし、歌いたいと思ったら歌おう。
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