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【正しさ】との終わりなき闘い

突然ですが、みなさん将来の夢ってありました?

私は保育園の卒園文集に書く「将来なりたいもの」がなくて、同級生のめぐみちゃんが書いてた「ピアノの先生」をパクッて書いたしょっぱい思い出から始まり、これまでのどの段階でも明確な夢がない人生。これは、「どうせ私なんて何にもなれるわけがない・・」という卑屈でマイナス思考がなせる業だったのだと思います。

小さい頃、神経質でまじめだった私は、周りの大人の言動にも敏感。長女気質で、「しっかりしなきゃ」「〇〇の通りにしなきゃ」「怒られないようにしなきゃ」といういろいろな規制を自分にかけてきたような気がします。

なので一見外見はとっても良い子なのですが、中身はビビりで「〇〇しなくては、〇〇でなければ」、に縛られ、自由に何かを選ぶとことも、自分が本当に何をしたいのかもわからないまま大人になってしまったところがあります。

自由になりたくて地元を離れても、やりたいことが見つけられないからまた戻ってきて。そのうち、だれかの「評価」をもらえると自分の中身が埋まるような気がして、更に良い顔をする。10代後半から20代はそんな期間。

やりたいことが見つけられない。というよりも、いろいろなことに興味を持つけれど、いつもどこかで、「どうせ無理」という意識が働いて、真っすぐにやりたいことに向き合えない、という方があてはまる。学校の先生を目指した時期もあったけどあっさり挫折してるのはそんな理由。

その内、やりたいことと、褒められるためにやっていることの区別すらつかなくなってもう闇。(笑)

20代後半で結婚と出産をしましたが、仕事も家庭も悩みに悩んで離婚に踏み切ります。30代はまさに闇の時期。

良い子でいなくてはいけない。という規定で自分を縛っている私は、まず離婚した自分を受け入れられなかった。自分で選んだにも関わらず。そこで、自分がした人生の選択なのに自分で胸をはれないという矛盾と弱さ。でも外では精いっぱい平気なふりをして。外見の自分と中身の自分が真逆で分裂している。このことに悩んで、自分が嫌いで悶々とした暗黒の30代でした。

正直に言って、今も自分を完全に受け入れられてない。もうすぐ10年にもなるのに。闇は薄くなっても続くものだ。

突き詰めていくと、小さいころに原因があるのだろう。「自分ではなく、良い子」になろうとした。ということが。将来の夢はなかったけれど、私は「良い子」になろうとしたのだと。

昔は、大人になればこんな生きづらさはなくなるのだろうとぼんやり思っていましたが、40歳を過ぎた今、わかることは結局自分は何も変わらないということ。

それでも。

30代の暗黒時代に散々あがいてきたから、今はやっとあきらめがつきました。不完全でも、自分は自分を生きていくしかないということを。

だから私は、「良い子」とか「正しいこと」が大嫌い。

だから私は、「多数だから正しい」「少数だから間違ってる」という意識が大嫌い。

だから私は、将来の夢、結婚の有無、子どもの有無、仕事の内容、友達の数、学歴、仲間サイコー、とかいう、勝手に「正しい」というバイアスがかかる括りが大嫌い。(もっともっとたくさんあるけど)

将来の夢なんてなくたっていい。結婚なんてしてもしてなくてもどっちだっていい。失敗したっていい。子どもを持つことも、子どもがいるから立派なわけじゃない。学校だって絶対行かなきゃならないわけじゃない。友達もたくさんいるから良いんじゃない。

正しいかどうかは、先に決めてあてはめていくことではなくて、後からついてくるもの。

何が正しいか正しくないかは自分で決める。そして、それは自分だけの正しさであって、他の人にはあてはまらない。押し付けてはならない。ということを常に肝に銘じていたい。

世間に、にゅるっと、ぬるっと、でも確実に見えない空気のように囲んでいる「正しさ」と闘い続けたい。勝手にだけど。自分のために。

多分、これがこれからの「ワタシ」という人生を生きていく術。

小さくて終わりなく、そして1人相撲のような「正しさ」との闘いは、今は仕事に込めていたりします。込めることができる今の仕事ができることも感謝しながら、仕事のことは追々、正しさとの闘いの仕事バージョンとして。







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