”黒い金”のロジック

代表制民主主義で政局を動かす要素として、代表として選ばれた議員の倫理観を問うとして、その行動、特に金銭についての扱いが問題となることが多い。この中で流れのわからないいわゆる”黒い金”の動きが注目されることになるが、この”黒い金”はいったいどこからくるものなのだろうか。

政治的武器としての”黒い金”

究極的に言えば、”黒い金”というのは、政治的決断、特に予算絡みのことで便宜を図り、特定の方面に有利になるようにした見返りとして授受された金銭であると言えそうだ。そして、実際に便宜を図ったのかどうかということは誰にもわからず、そしてその”黒い金”に見合うだけのメリットがあったかどうかもわからない、という状態があり、しかしながら”黒い金”という印象が一旦動き出すと、それに取り憑かれることは政治的には致命傷となりかねないので、政治家としては極端にそれを嫌い、一方で政局を起こすにはそれを追い続けるというのが、政治家に対する大きな武器になるということもあり、それを殊更に煽り立てて自らの政治的影響力をましてゆこうとする動きも常に流れることになる。そんなことで、”黒い金”が実際に存在するのかどうかということは、確認の取りようがなくとも、その話が動き続けることで、予算編成の度にそんな話が蒸し返され、そしてその話について白黒のキャスティングボートを握ることが政治的に強い影響力を保つ秘訣となる。

政治改革と”黒い金”

白黒というのは、文脈的に判断されるものであり、その意味で、嘘であってももっともらしい話を流布させることで、その善悪を特定の相手に印象付ける、というようなことを行って、その善悪の判断基準を握ることが、白黒のキャスティングボート、つまり”黒い金”の矛先をどこに向けるのかということの方向付において主導権を発揮できることになる。だから、本来的には、事実確認で、事実に基づいているのか否か、ということがもっとも重視されるべきところを、その議論が固まらないうちに、出てきた話を根拠として”黒い金”のような話が動き出すことになる。そして、その話を動かし始めるのは、嘘を多く抱え、それを突かれないうちに逃げきりをはかろうとする権力者であると言えそうで、話が動き出したら、どの権力者が逃げ切りを図っているのか、ということに注目する必要があるのだろう。そしてそれは、政治改革のようなことを主導して”黒い金”について優位な立場に立とうとしてきたところが火元である可能性が高いのかもしれない。だから、過去のスキャンダルから政治改革、という流れにおいて、いったい誰がなにを隠そうとして、そのような”改革”を行おうとしてきたのか、ということはしっかりと見る必要がありそう。

炭鉱国管疑獄と田中角栄

戦後すぐに起こった炭鉱国管疑獄事件において、田中角栄は逮捕されたが、贈収賄を否定して工事請負代金であると主張し、二審で無罪を勝ち取った。これが、不透明な金の流れで政治家を起訴しにくくなった戦後の大きな前例となり、ここから”黒い金”というのが政界での通り相場のようになっていったのだと言えそう。この事件では多くの国会議員が逮捕、起訴されたが、田中の無罪主張が通ったことで田中の”黒い金”ロンダリングの手法が国会議員の中に大きな影響力を持つようになり、それが若くして幹事長から総理にまで上り詰めた田中の政治手法の中心となり、ついにはロッキード事件という海外をも巻き込んだ大疑獄事件で幕を下ろすことになった。

政治改革の動きの背景

バブル崩壊、冷戦終結後の政治改革の動きは、リクルート事件をきっかけとして起こった。リクルート事件は川崎駅西口再開発に関わる未公開株譲渡の朝日新聞によるスクープから火がついた。川崎は朝日新聞出身でもあった元新自由クラブの田川誠一の地盤であり、その新自由クラブが解党し多くが自民党に復帰した後に起きたのが、このリクルート事件から政治改革に至る動きであった。結局それが通ったのは細川政権の時で自民党の総裁は新自由クラブ出身の河野洋平であった。河野はロッキード事件で鍵となる役割を果たした丸紅の出身であり、そしてそのロッキード事件でアメリカ側の中心人物アーチボルト・コーチャンの独占インタビューを出版したのが朝日新聞社であった。

”黒い金”による政治中毒拡散

これらの事件によって、”黒い金”の判断基準を朝日新聞と新自由クラブ系の議員が握り、そこで政界における資金授受についての暗黙の規範を打ち立ててその行動を監視しているということも十分に考えられそう。つまり、”黒い金”であるか否かの基準は、朝日新聞の報道次第である、ということになっている疑いがありそう。そして、その政治改革四法によって、政局を引き起こしやすい小選挙区制が導入され、そして朝日新聞などは選挙に行って意志表示をするよう強く勧めている。選挙を通じた政治関与によって、新聞による政治中毒者を増やそうという一貫した意図があるのではないか。

こうした背景から、政治の動きの底流に朝日新聞発の文脈が多く流れている可能性があり、その文脈に沿っているか否かで”黒い金”報道が出てくるのではないか、ということに注目して政局を眺めてみるのが、政治中毒になることから一歩距離を置く方策なのかもしれない。

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