個と社会の双方向アプローチ

個が社会に向けてどうアプローチするか、一方個が自分を社会の中でどう位置付けているかという、個と社会のインサイドアウトとアウトサイドインの双方向のアプローチによって、社会とそれぞれの個の関係性は差別化され、具体的な多様な個によって構成される社会のイメージができるのではないだろうか。

インサイドアウトアプローチ(向識):目的ー問題意識ー方法論
アウトサイドインアプローチ(認識):歴史観ー時空座標軸ー現象解釈

インサイドアウトアプローチ(向識)

まず、個が社会と対峙するための抽象的模式として、目的を設定し、その目的に対する問題意識をそれぞれが整理し、そしてそれによってその問題意識に従って目的に達成するための方法論が定められると言えるのではないだろうか。これを外側へ向かう感覚として向識と名付けたい。
前回の具体と抽象の思考に合わせて言えば、このアプローチは抽象思考であり、目的というのがなんであれ様式化された制度の形態を取るのではないかと考えられる一方で、方法論は個々人の経験に基づくやり方が選ばれると考えられ、すなわち感情に近いところで決められるものだと言えるのではないだろうか。

アウトサイドインアプローチ(認識)

一方で、個が社会の中で自分をどう位置付けるかという現実の中での具体的思考として、自分の持つ歴史観、そう言ったら大袈裟すぎるのならば、時間軸、タイムスケジュールと言って良いのかもしれないが、社会をどのような流れのものとして把握しているかの考え方があり、その中で自分をどの時点を基準にしたどこにいるのかという時空座標軸のあり方があり、そしてその立場から、現在起きている現象をどのように解釈するのか、という具体的な現象解釈が生じてくると考えられ、これは全体として社会認識の模式であると位置付けられる。この模式は具体思考であり、歴史観とは具体思考の感情的な側面、すなわち現在の現象をどのような流れで見ているのか、という自分の主観的立場を示すものであると言え、一方現象解釈は、その現象を構成する具体的制度を関係性として解釈するものだと言えるのではないだろうか。

自意識のありかとしての時空座標軸

この中で、歴史観と時空座標軸というものが混同しやすいかもしれない。歴史観というのは過去から現在、そして未来へと続く流れをどう見ているのか、という感情の流れの認識であると言え、その中で自分がその流れをどこから見ているのかということの位置付けを明らかにするのが時空座標軸であると言える。これは、流れの中での自意識の存在点であり、その地点から思考の抽象化を行うことで問題意識が浮かび上がり、そこから目指すべき目的とその達成のための方法論が定まってくると言えるのではないだろうか。

二十世紀型社会像議論

こうして個人と社会との双方向アプローチが模式化されることで、一般化で「科学的」に議論しようとされてきた二十世紀型の社会像に対して、個別化を軸としたより複雑で多様な個別の視点を尊重した新たな社会像の議論が可能になりそうだ。
二十世紀型の社会像では、インサイドアウトの向識を一般化して理想の社会像を啓蒙主義的に設定し、そこに向けて個々人の目的を競争によって割り振り、そして競合相手との果てなき競争によってその社会像を目指すという、個の満足や充実、そして独自に設定した目的と言ったものを置き去りにして、社会のために奉仕するということが求められてきたのだと言えそうだ。
そのような手法は、高度成長からせいぜいオイルショックくらいまでは有効であったと言えるが、その後、特にバブル期にはもはや理想の社会像などはどこにもなく、土地転がしで金儲けという程度の目的しか社会は与えることができなくなっていた。つまり、もはや五十年も前に寿命の尽きているようなやり方で延々と突き進み、いまだ国による計画、そしてそれに基づいた予算配分、その分取り競争が社会の中心的原動力となっているどころか、それはますますひどくなっているように感じられる。

個を重視した新たな社会像議論形成へ

もうそろそろ、社会が与える目的ではなく、個々が自らの問題意識に従って目的とそこに至る方法論を備えた上で、個別に自らの理想とする社会を、自分の生活ペースを重視しながら実現できるようにするようなあり方に変えてゆくべきではないだろうか。
そのためには、個の側でも自分の存在を明確化し、どんな角度から社会を見て、それをどのようにしてゆきたいのか、という、社会の中の自己を確立してゆく必要があるのだろう。それには、上に述べた自己の時空座標軸をきちんと定める必要がありそう。歴史観と現象解釈、という難しい言葉を使ったが、それは自己の経験と日常、と言い換えることもできそうで、つまり、自分が今までどのような経験を積み重ねて現在地に至り、どんな思いで日常を送っているのか、ということを整理してみることだと言い換えることができそう。そうすると、日常における不満が、自ら解決できるものなのか、それとも社会的な問題なのかという区別ができるようになり、社会的な問題認識から問題意識が生まれ、そこからそれを解決するための目的、そして方法論が定まってくることになりそう。

個性の明確化

社会問題への関心は他の人とも重なってくることが多くなり、その中で自分は他の人とどう違うのか、と考えると、歴史観を深め、そこから現象解釈の独自性を浮き出させる必要が出てくるのかもしれない。歴史観の中には歴史的な人物観のようなものも含まれるようになり、そうして自分が一体どのような人物を評価し、それを目指しているのか、ということが明らかになってくると、自分の個性というものがだんだんはっきりしてくるのではないだろうか。

こうして、自立した個々人がそれぞれ社会と対峙するという双方向の社会形成のメカニズムが機能するようになることを期待したい。

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