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【歴史から臨む未来】第一次産業革命

現在、デジタル化などによって第四次産業革命が進行中ともされるが、一体産業革命とは何なのだろうか。その歴史を追ってゆくことで、そこから広がる未来を探ってみたい。

産業革命とは

まず、産業革命というものは、明確に定義されているとは言い難く、何を指して産業革命と考えるかは人によって幅がありそうだ。その中で、Wikipediaの定義によると、

18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命、それにともなう社会構造の変革のことである。

ということで、かなり明瞭に定義してあるが、前半の産業の変革という部分を見てみると、一連の、という割には、その説明には流れるような澱みなさはない。その説明は、毛織物産業と製鉄業という、直接的にはあまり関わりがなさそうな産業における技術革新から、蒸気機関が生まれて産業革命が展開し始めた、というもので、それがスッキリとつながるか、と言われれば、ちょっと無理がありそう。

エネルギー革命の第一段階 ー 製鉄へのコークス利用

そこで、後者のエネルギー革命の話が出てくるのであろう。イギリスでは、17世紀の初めにすでに木炭を作るのと同じ原理で石炭からコークスを作る手法が開発されていた。それは、木が希少になっていたイギリスにおいて、木炭の代替として考えられたものであり、その段階では燃料としての役割しかなかった。18世紀に入ると、コークスを使った品質の高い鋳鉄の製造法が発明されたが、そうして作られた鋳鉄は、固過ぎてイギリス国内では加工できず、フランスに輸出されたという。いずれにしても、これは炭素の含有量の多い鋳鉄であり、フランスに行ったからと言ってうまく加工できたのかはわからない。18世紀半ばになって、炭素含有量を減らすことができるようになり、加工のしやすい鋼鉄が発明されたが、それを大量生産することはまだできなかった。ただ、これによって、蒸気機関を作るための技術的基盤は整ったことになる。

蒸気機関の発明

技術面で「産業革命」というほどのインパクトを持ったのは、やはり蒸気機関という動力源の発明によるのではないか、と私は考える。これによって火力のエネルギーを動力として使えるようになり、人がコントロールできる動力の範囲を爆発的に広げることになった。つまり、これまでは、何らかの作業を自動化しようとしたら、風力や水力が確保できるところで、自然の力を使ってギヤを回し、それによって自動の動力を生み出す必要があったのが、火力を動力にできるようになったことで、燃料さえ移動させればどこでも動力を生み出すことができるようになったのだ。炭素燃料の強みとは、燃焼力の高さと共にその移動性の高さだともいえる。電気の応用範囲の拡大で状況はずいぶん変わっているとはいえ、脱炭素を唱える環境主義においては、この歴史性というものを理解しないと、それこそ歴史の歯車を動かすのは難しいのではないか、と感じる。

蒸気機関発明当時の社会背景

とにかく、1779年にジェームス・ワットによって蒸気機関が発明されたわけだが、それは一体どういう背景なのだろうか。社会的背景を見てみると、1756年から、アメリカをも舞台にしたという点で、世界初の世界大戦であるとも言われる7年戦争が始まった。そしてその延長として1776年にはアメリカ独立戦争が起きた。そんな戦乱の時代において、携帯的動力源がない以上、移動できる動力は馬に頼るという時代であった。そして、大陸まで出兵するということになると、イギリスにおいてまぐさの価格は上昇することになる。それは、携帯的動力源に対する大きな圧力となって作用したことが考えられる。

製鉄の技術革新

もっとも、馬の代替としての蒸気機関というのは飛躍があり過ぎて、直接的な要因とはなりそうにはない。需要は需要としてあった上で、それとは別にやはり鉄の加工技術の進歩が、蒸気機関の発明を可能にしたというべきであろう。一方で、鉄の大量生産ができない以上、蒸気機関が発明されても、その実用は量的に限定的にならざるを得ず、そのために資本による生産能力の確保、という資本主義的なテーマが発生したのだといえる。日本では、反射炉による製鉄では硫黄分を飛ばすことができず、大砲を作ることができなかったようだ。それを考えると、コークスを用いて質の高い鉄を生産できたイギリスだからこそ、圧力に耐えうる蒸気機関の技術革新ができたのだと考えられそう。

織物産業への展開

水力を用いての自動化がなされていた織物産業では、特許の切れたその水力を用いた力織機を参考に、1789年にエドモンド・カートライトが蒸気機関を用いた実用的な力織機の特許を取得し、それによって織物の生産性が急激に高まる、ということがあった。これは、水のないところでも織物生産ができるようになったことを意味し、資本投入によってどこでも織物生産ができるようになったことから、資本蓄積のメカニズムが作用するようになった。これが、最初の「産業革命」と呼ばれるものの実態なのではないだろうか。もっとも、蒸気機関による力織機の発明よりも前に作られたとは言っても、著名な織物工場ニュー・ラナークは水力に依存しており、燃料コストも鑑みて、蒸気機関による力織機がすぐに競争力を持ち得たのかは疑問が残る。

初期産業革命の実相

いずれにせよ、この時点では、「産業」といっても、織物産業の一部自動化、つまり、機械の番として1台に一人が必要になるという、自動化とは言い難い、単に生産性の向上に止まっていたのだといえる。つまり、逆にいうと、産業の「革命」が雇用の拡大につながるという、ある意味理想的な状況がほんの一時的にとはいえ、実現したことになる。それは、社会においては十分「革命」の名に値するインパクトをもたらしたといえる。つまり、農業や職人となる以外に、職工として機械の番をすることで生活の糧が得られる可能性がひらけたことになるのだ。相続による土地やギルドの縛りから抜け出す道がひらけたという意味で、これはまさに産業「革命」であったといえそう。

幸せな「革命」

この辺りの、およそ半世紀後にマルクスが見ていた世界とは違う、幸せな「革命」が、フランスにおける本当の「革命」に影響を及ぼした可能性は、ちょっと時期が接近し過ぎていて直接的には繋げられそうもないが、理想社会イメージに与えた影響としては考えられるのかも知れない。少なくとも、アメリカ独立革命よりは遥かに平和的かつ生産的な「革命」であったことは間違いなさそう。フランスも、アメリカ的革命ではなく、イギリス的なそれにより強い影響を受けていれば、ナポレオン時代に至る四半世紀にわたる時間のロスは避けられたのではないだろうか。その意味で、自由の名で語られるアメリカ独立戦争、そしてフランス革命の歴史に与えた負の側面というのには、もっと注目がなされて然るべきなのではないだろうか。

このように、第一次産業革命とは、さまざまな要素技術が相互に影響し合いながら技術革新を促進させたプロセスであるといえ、そして「革命」というもの自体は、技術的な要素よりも、社会的要因に対して当てはまるものなのだろうといえる。この辺り、「産業革命」の延長や再現を意識するのならば、十分に考慮に入れる必要がありそう。つまり、技術的な革命それ自体よりも、それがいかに社会に革命的な変化を平和的にもたらしたのか、ということの方に、より注目する必要があるのだろう。


Photo from Wikipedia ニュー・ラナーク


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