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【Lonely Wikipedia】VAT

回り道ばかりのようで、何をしているのかよくわからなくなってきたが、とりあえず付加価値税(VAT)がなぜか突然気になってきたので、調べてみることにした。

付加価値税(ふかかちぜい、英: value-added tax, VAT)または物品サービス税(ぶっぴんサービスぜい、英: goods and services tax, GST)とは、間接消費税の施行手段のひとつとして一般的な手法である。欧州、日本ほか多くの国家で導入されている。付加価値税はフランス大蔵省の官僚モーリス・ローレが1953年に考案した間接税の一種である。
アメリカ以外のすべてのOECD諸国ではVATが導入されている。また、日本の消費税法に基づく消費税も付加価値税に分類される。

なぜここまで広がったのか。そしてなぜアメリカでは導入されていないのか。それを知るためには、導入経緯を知る必要がありそう。

En 1954, il propose et théorise un impôt indirect sur la consommation, la taxe sur la valeur ajoutée, la TVA. Très appuyée par le président de la commission des finances de l’Assemblée nationale, Pierre Mendès France, la mesure est votée le 10 avril par les députés malgré le peu d’enthousiasme du ministre des Finances Edgar Faure. Acceptée par Pierre Henri Allix, son directeur général, l'idée est adoptée par les dirigeants politiques mais à échéance imprécise. Maurice Lauré propose de liquider et d'encaisser la taxe à chaque stade du processus de production et de commercialisation avec un système de déduction de la taxe précédemment perçue. Le procédé est aujourd'hui largement repris et utilisé par nombre d'administrations fiscales dans le monde.

間接税自体は世界中で元からあったのだろうが、それを生産・販売の各段階で税金を清算・徴収し、それまでに徴収した税金を控除するシステムとして理論化したのが、フランス大蔵省に勤めていたモーリス・ローレだという。なかなか政治的には難しい話だったようで、直接の上司となるはずの大蔵大臣エドガー・ファウレの反対を差し置いて、首班である閣僚評議会議長ピエール・マンデス=フランスの支持を得て導入が決まった様子。

このあたり、非常にわかりにくい話で、

Germany and France were the first countries to implement VAT, doing so in the form of a general consumption tax during World War I. The modern variation of VAT was first implemented by France in 1954 in Ivory Coast (Côte d'Ivoire) colony. Recognizing the experiment as successful, the French introduced it in 1958. Maurice Lauré, Joint Director of the France Tax Authority, the Direction Générale des Impôts implemented the VAT on 10 April 1954, although German industrialist Wilhelm von Siemens proposed the concept in 1918. Initially directed at large businesses, it was extended over time to include all business sectors. In France it is the most important source of state finance, accounting for nearly 50% of state revenues.

英語版によると54年4月にコートジボアールで導入と言うことになっているが、

C'est un impôt institué dans son principe en France par la loi du loi du 10 avril 1954 à l'instigation de Maurice Lauré, haut fonctionnaire de la direction générale des Impôts : celui-ci propose d'éliminer les inconvénients liés aux divers impôts sur la consommation.

フランス語版では4月10日に法律になったとされる。

Cet impôt moderne n'est mis en œuvre que timidement, dans les débuts ce n'est qu'une taxe à la production de biens avec un régime embryonnaire de déduction. Il faudra le choc politique de 1958 pour qu'elle soit appliquée progressivement à l'ensemble des biens et services. On peut dater l'achèvement de cet impôt sophistiqué sur la consommation à 1967. À l'étranger, elle fait rapidement le tour du monde et se trouve adoptée par de nombreux pays notamment au sein de l'Union européenne.

一気に導入と言うことではなく、徐々に導入され、67年に完成したということのよう。

しかも、法律が成立した54年4月10日は、積極的であったとされるピエール・マンデス=フランスの政権ではなく、その前のジョゼフ・ラニエルが政権を担っていた。その間、財務経済大臣はずっと反対派とされるエドガー・ファウレが務めていた。この間の事情は非常に複雑で、

The strikes ended on 10 December, but more would come in 1948, and again in 1953 in response to the Joseph Laniel government's austerity program.

53年ラニエル政権下で緊縮財政に対してストライキが起きていたらしい。53年予算を定めたのは、同じく全国独立主義者農民センターのアントワーヌ・ピネー政権下であったが、ピネーは首班と共に財務経済大臣も務めており、政府財政の圧縮を主導的に行ったとみられる。53年に入ると急進党のルネ・マイエール政権となる。この政権では、経済担当閣僚が大蔵相、経済担当相、予算相の三つに分かれ、政府財政の複雑化がなされたようなのだ。マイエール政権は半年で終わり、その後にラニエル政権となるのだが、マイエール政権では大蔵相と予算相が別れており、大蔵相を急進党が、予算相を全国独立主義者農民センターが務めていたということで、財布のひもを締めようとしていた全国独立主義者農民センターを素通りして急進党が金を使い込み、その後始末で結果としてラニエル政権で緊縮と言うことになったと言うことではないか。間接税の簡素化を含めた上でのVATの導入が議会で通る、ということになったのではないか。

さて、ルネ・マイエールもピエール・マンデス=フランスもユダヤ人であるのだが、特にマンデル=フランスは、

After serving with the Free French Air Force, Mendès France was sent by de Gaulle as his Finance Commissioner in Algeria, and then headed the French delegation to the 1944 monetary conference at Bretton Woods. When de Gaulle returned to liberated Paris in September 1944, he appointed Mendès France as Minister for National Economy in the provisional government.

ブレトンウッズ会議にフランス代表団長として参加している。以前にも書いたとおり

In France, the Bretton Woods system was called "America's exorbitant privilege"

フランスで非常に評判の悪かったブレトンウッズ体制の交渉を行ったのが、このマンデル=フランスという事になるのだ。そして、ブレトンウッズ体制下でマーシャル・プランが実行されたが、51年末にはその性質が軍事支援へと切り替わり、財政を自らの手で支えないといけなくなっており、それへの対策として考えられたのがVATであると言えそう。それに先だって、フランスで始めてユダヤ人として首相となったレオン・ブルムがアメリカへの国債売り込みミッション団長となっており、その融資返済の原資として取りはぐれの少ないVATが企画されたのだと言えそう。

すでに書いたとおり、VATは全ての付加価値段階で課されるために、経済が統制化される。つまり、VATの登録によってインセンティブを付けられ、それを行うことによって事業の流れが全て税務当局の知るところとなり、経済の国家管理が非常に強くなるのだ。それは、経済の国家監視を強化し、民間経済が国家経済に従属することにつながってゆく。そういう制度を、使い込みをした側だと考えられる勢力が、アメリカという大国の取り立て能力に頼りながら、巧妙に採用したのがVATなのだと言える。
なお、この導入に反対していたとされるエドガー・ファウレも急進党であり、そしてマンデル=フランスとは対立していたという。つまり急進党がみなおかしかったわけではなく、その中の一部が独走したのだと思われる。
この辺りのフランスの政治情勢、第一次インドシナ戦争も絡んで、国内だけでは分析しきれない非常に複雑なものであるが、そんな中でVATが経済統制派の強い意志を持って導入され、その後10年以上もかけて念入りに浸透させた上で、EUの機構に乗せることでそれをヨーロッパ全域に広げる、という、かなり長期にわたる計画に乗せて広げられてきた、という事実は無視できないのだろう。

そんなことが日本でのこれまた強引でかなりしつこいやり方の末の消費税の導入につながり、それがプラザ合意やバブルに関わってくるので調べてみた。

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