体育会系調理補助〜23〜最終回〜
Oさん、私は、これでもニンゲンが苦手だった。
5歳で(たった5歳でも、性的な羞恥心はあった)、集団で連日のように性的いたずらをされてから、私は親しい友達にも苦しい秘密を持った。された事は、いまでも表現できない。
誰にも言えず「もう、私は普通の女の子じゃないんだ」と、思っていた。
成長してから、その態度は周りに不遜な女の子に映った。
「なに、カッコつけてんのよ」
「嫌な奴」
久し振りに社会に出て働いた時の私は、主人や僅かな友人の前でしか自由に振る舞えない 人間不信の塊だった。
根の深い人間不信だった。
たまたま観た手相動画があった。
連日アップされるその動画は、私に訴え続けた。
「体力あります」
「愛嬌あって好かれます」
「協調性あります」
「思いやりあります」
「不思議ちゃんです」
「自分で運勢を切り拓いてゆける、また周りに助けられる人です」
「徳を積んでいるので、老後は寂しくないです」
「晩年活躍できます」
「努力の人です」
…………
前向きな言葉を、これでもか、と言うくらい……
その度に、私は 自分の可能性が拓けて行くような気がした。
私は、本来 こんなだったの?
K社の皆も、私の事を「人間不信だが、どこか明るい奴」と、思っていたようだったが、私は少しずつ自信が出て来た。
皆さん、明るかった。そして、ひとを信じていた。「自分が明るさを持ち続けていたら、ひとは返してくれる」ことを知っていた。
他の、ピアノライブでも、私はだんだん元の自分を取り戻す…明るさを…
いたずらをされる前の私は、周囲に大事に育てられていた。
父母の経営する小さな会社の優しい大人達は、社に入り込んで遊んでいた私たち兄妹を、優しく見守り育んでくれたのだ。
また、私の多い親戚達は、私を明るく屈託なく育ててくれていた。5歳までは、全く傷一つ無いと言って良かったのかも知れない。
そして、引越し先では、何も知らない近所のひとや、子供たちが受け入れてくれ、私の明るさを育ててくれた。
H病院事業所は、何となく私のその僅かな幼少時代の幸せを思い出させてくれたのかも知れない。
そして、トドメのようにヨガのChanさんの言葉。
「えみちゃん、トラウマは『今』起こってるんじゃないでしょう?」
私は、大人になった頃、病気をして、すっかり健康を害し、健やかさ、明るさを失っていたが、
H病院事業所での、身体を使う仕事。ハツラツとした毎日が、私に最終的な突破口を呼んでくれたのかも知れない。
それからの私は、少し生まれ変わったようだった。
H病院事業所で、少しずつ人間性を取り戻しつつあるような気がする…………………
私は、この冬、カウンセリングを卒業した。主治医は もう、トラウマは大丈夫だろうと言った………。小さい頃の体験がもとで、私は、大人になってからも問題を起こしていたのだ。
「修行」が好きな私は、修行を続けるが、こういう展開になってくれた事を、機会をくれた神様に感謝するしかない。
私が、新人の頃、カワサキさんは、時間に間に合わず、仕事を残してバトンタッチする時にこう言ってくれた。
「大丈夫!(任せて!)」
M坂さんは、今でも私に優しい。時々お菓子をくれたりする。そして、遅れそうになると、さり気なく庇ってくれる。そして、色々教えてくれる。
マサキさんは、私が上達するのを目の当たりにすると、何気にご機嫌だ。
清水さんは、私が人間不信の頃、おどけて心をほぐそうとしてくれた。
ミズさんは、サービス残業のつもりで付けなかった私の記録までしっかり記録して 給料に反映させてくれていた。そして、よく私のミスで病院側に頭を下げてくれていた。
N社の「店長さん」は、私が 芸術家上がりで家事に慣れていないと知りながら、イチから育ててくれた………社会人としての心得と、周囲へ思いやりを持って、と言い続けてくれた………
「店長さん」、マサキさん、清水さん、ミズさん、M坂さん、カワサキさん、ナガサワさん、Oさん、シモジュウさん………、いっぱい、いっぱい、ありがとう。
そして、Chanさん、手相占いの藍さん、ありがとう。
周りの、私を育ててくれた皆、ありがとう……
体育会系調理補助 おわり
最後まで、読んでくださった方々、深く感謝と御礼申し上げます。
そして、トラウマや心の問題に直面している方、自信を持ってください。時々、挫けることはあっても、夜明けは来ます。
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