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「体育会系調理補助1」〜社会からこぼれ落ちて約30年〜世間から脱落した主婦が果たして、スピードと正確さのこの世界に残れるか?

 私は、2年前から ある病院の調理補助をしている。正確には、2年10か月前だ。その間、いろいろな事があった。私の本採用、後輩のクビ、会社の縄張り競争、店長の交代、そして、私の大ミス……。その後もいろいろある。指導者の脳挫傷、そして もう1人、癌によって また1人 この世を去っての戦線離脱…

 この間、私は 大火傷をした。と言っても 範囲は狭いが。指を3本、1本はケロイドになりそうだ。人差し指は、直径2センチの火傷で、大きさはそんなでもないが ケロイドになりそうなので「大火傷」である。ケロイドになりそうと、気付いてから、私はひそかに泣いた。けど、私は その次の日職場に行って 決心をする。「ここのパートを身体が続く限りする。いま、パートを引っ張っているのは、76歳のM坂さんだ。いつまでも現役でない。私はその次に古い。53歳。いつか、みんなを引っ張る重鎮のパートにならなきゃ」私は、その時すでに調理補助では、ベテランの域に入っていた。

 2年前の、初春。ポストにあるチラシが入っていた。「調理補助募集。週2〜3日。4時間から」募集先は 家の近くの病院だ。

 ある理由で、私は自宅療養をし、結婚をしてからこの土地に来た。そして、1年位経ってからだろうか、そのチラシを見た。

 私は、働いてみたかった。前々から 社会に出て働いてみたかったのである。しかし、ある事情で 長い間それが出来なかった。

 私は、さっそく夫に相談した。
「働いてみてもいい?」
「うん?先生に相談して、大丈夫ならいいよ?」

 主治医に相談することにした。私の熱意に負けたのか
「週2日、4時間をしっかり守って それ以上は、なんと言われても 働かないで下さい」

 私は、心躍らせて そのパートに応募した。

           つづく

 

画像は、MIDORIさんの
    「冬のソライロ」です。
    有難う御座います🍀

©鈴木江美子2021.1.29.

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