ウクライナの土に咲くスノードロップ
ディープステートや陰謀論・・などと呼ばれるような事柄からは極力距離を置くようにしてきた。SNS上で声高に叫ばれ続けているワクチン賛成か反対かというのも、少し離れたところから眺めるようにしてきた。
なぜなら、それらはどれも何かを糾弾するエネルギーに満ち、分離を促す心地悪さを感じさせられるからだ。真実を追求するあまりに、自分が正しいという熱意に裏付けられた「何か」を握りしめ、必ず敵対する「何か」を生み出しているのを感じるからだ。
そしてとうとう今日目に飛び込んできたのは、ウクライナでの出来事に対して、陰謀論からくる極論を拡散しているものだった。正直びっくりした。
多分それを書いた人も拡散している人も、とても心優しい人たちで、ただ真実を追い求めているだけの人たちなのだと思う。しかしその内容は、その人たちの善意や優しさをうまく利用して、美しい心根の人達が気が付かないとても巧妙なやり方で、裏で情報操作をしている「何か」があるのではないかと、私には感じられたのだ。
真実というのは多分だれにもわからない。対立している構図の中では、真実は一つではないからだ。しかし、対立を促すもの、人々の心が分離するように仕向けるものは、私の思う「真実」ではない。
ナチスドイツにおけるヒトラーは、私たち全ての中(集合意識)にあった闇が体現された存在だったと私は思っている。
人類の歴史で何度となく繰り返されてきた悲惨な出来事や、人々を苦しめる出来事は、そこに関わった個人的な「人」が何かをしているのではなく、そこにある「分離」がもう片方を苦しめているだけなのだと思う。
善悪で、もしくは正しい正しくないで、一方が一方を責める図式が存在する限り、そこに起こり得る苦しみや悲しみは消えることはない。
とても極端に聞こえるかもしれないが、「テロリストに愛を」ということを実行している人達もいる。現状で言えば「プーチンに愛を」ということになる。
そんな馬鹿なことはありえない!という声が大方のような気がするが、そこに分離が存在する限り、人間の世界での苦しみは終わらない。
自分の中に何一つ闇が存在しない人間なんていない。完璧な人間もいない。その自分自身を許すこと、受け入れること・・それと全く同じことでしかない。
正しさの名の下に誰かを糾弾することではなく、その現実を生み出している世界の波長を変えることに意識が向けばと願うばかりだ。きれいごとなのではないと思っている。多分、それしかないのだ。
(ご縁のあるウクライナ在中の方が書いたメッセージを翻訳してシェアします。彼女とご家族の安全と、彼女の国がまた美しく平和に暮らせる場所に一刻も早く戻ることを心からお祈りしています。)