この度、SHElikes(シーライクス)を卒業しました。
この度、1年間通ったキャリアスクール、シーライクスを卒業しました!
今日はこの素敵な出会いを忘れないように、SHElikesとわたしが出会い、この1年間に起きた奇跡を備忘録としてここに書き留めておこうと思います。
1.バンドに人生を捧げた12年間
初めましての方もいるかもしれないので、軽く自身の話をさせてください。
わたしは中学3年生の夏に、初めて友達と行った夏フェスでバンドにのめりこみ、高校1年生になってからバンド始めました。ガールズバンドらしくないガールズバンドでした。
高校3年間はバンド活動での思い出が大半を占めるくらい、毎日がバンドでいっぱいでした。
体調が悪いフリをして、何度も学校を早退してライブに行ったりしたし、東京までライブしに行って、家に帰ったきたのが朝で、ほぼオール状態で登校し、眠すぎてまともに授業が受けられず、担任の先生に呼び出しをくらいやさしく説教を受けて泣いて帰ったこともありました(笑)
それぐらいわたしにとってバンドが全てでした。
進路に関しても、周りはみんな進学or就職の中、わたしは「音楽で食っていく!!」と言ってフリーターになり、そこからは音楽の道を志して、アルバイトとバンド活動の毎日を送り、いろんなコンテストにでたり、CDを出したり、ツアーを回ったりしていたところに、1つの転機が訪れました。
なんと、初めてライブに行ったフェスの、オープニングアクトオーディションが開催されることが決まったのです。
そして、死ぬほど意気込んで出場した結果、見事、優勝。(うぉぉぉぉおおおおおおおお!!!!!)
賞金100万円をゲットし、CDデビューも決まり、
木村カエラさんの前座でライブできることが決まったのです。
いやぁ、奇跡すぎますよね。
そこからは、もうこのnoteでは収まりきらないくらいの素晴らしい経験をたくさんしました。
全国リリース、全国ツアー、ワンマンツアー、夏フェス、冬フェス、テレビ出演、レギュラーラジオ...
外側だけ見ていれば、順調だったのかもしれません。
内側は葛藤でいっぱいでした。
この辺は聞きたい人いるのかなぁ、、
みたい人がいたらコメントくださいな。別でnote書きます。
そして、事務所に所属し、7年たった頃、バンドに終止符を打つことを決めたのです。
そして、最高のアルバムをリリースし、最後のツアーに回り、名古屋CLUB QUATTROのワンマンライブで、わたしの音楽人生は幕を閉じました。
2.シーライクスとの出会い
バンドに終止符を打つ決断をしてから、わたしはどんな仕事がしたいかなぁ、と考えるようになりました。
音楽以外に興味も関心も全くなかったし、就職活動もしたことがなかったので、どんな仕事があるかすら知らない。0からのスタートでした。
自分のことなのに、何にもわかりませんでした。
最初はそれがとにかく不安でした。
考えて考えて、一つ辿り着いたのは、言葉を使う仕事がしたい。でした。
実はわたし、レギュラーラジオ内で、妄想将軍という名で、お題に沿った妄想ストーリーを作って読み、リスナーの方にも妄想を募集すると言った、なかなか変態なコーナーを持っていました。
そのコーナーを続けていた時に、バンドメンバーの一人が、「SNSでえみ(筆者です)みたいなことをTwitterでつぶやいてバズってる人がいるよ!」と教えてくれたことがきっかけで知ったのが、夏生さえりさんです。
そんな夏生さえりさんのツイートを見ている中で知ったのが、SHElikesでした。彼女は、SHElikesでライターの講師をしていたのです。
その瞬間に初めて、何かが切り開いた気がしました。
文章や言葉の仕事、、、してみたいなぁ、、
”ライターの仕事、知りたい!”
それから、SHElikesのことを調べ始めました。
SHElikesのHPを初めて開いた時の感動を、今でも覚えています。
わたしは、このキャッチコピーをみて、SHElikesに行ってみたいと思いました。
好きな色より、周りに馴染む色
華やかで大きな花より、無難な小ぶりの花
そうやって、「私にはこれくらいが丁度良い」って選んだ花は
本当にあなたが心から咲かせたい花ですか?
一度しかない私の人生、
人目や常識にとらわれないで、
本当はもっと大胆に咲き誇りたい
わたしは、愛知にいたとき、心のどこかで、
こんな風に思っていたところがありました。
「わたしなんて目立たないぐらいがちょうどいい。どうせ悩んでも変わらない。わたしは一生、誰かの後ろで無難に生きていく。」
いつしか、自分の人生は自分自身が主役だということを忘れ、こんなつまらないことで悩むようになり、自分が前に出て、傷つくことを恐れていたのです。
SHElikesは、そんな私にメッセージを送っているように感じました。
「一人じゃないよ。一緒に頑張ろう。」そう言ってくれているような気がしました。
バンド活動が終わって、少しづつ落ち着いてきた頃、
わたしは愛知から東京に引っ越して、SHElikesの体験レッスンを申し込んだのです。
3.SHElikes体験レッスンに行くの巻
SHElikesに行って第一印象思ったのは、私の理想の世界って本当に現実にあるんだ、、、、、でした(笑)
スクールの外観も内装も、働いてる方の立ち振る舞いも、全てに居心地の良さを肌で感じました。
SHElikesでは、初めて会った方とグループを組み、自己紹介をしたり、夢をお話したり、理想の働き方を今まさに初めて会った人とお話しする時間が設けられていました。これは、就職活動を初めてしようとしている私にとってはかなり大きかったです。
実はSHElikesのレッスン前にとりあえずバイトでもいいからライターできないかなぁ、、と思って面接を受けたりしていたんですが、撃沈しまくりでした。話したいことや、動機が全く喋れない。声が震える。手も震える。27歳で転職なんて無理なんじゃないという不安でネガティブな方にひたすら気持ちが走る。
紙にひたすら書いても、面接官を前にすると全く喋れないんです。面接官がどう思ってるのかばかり気にしすぎて、話したいことが話せないのです。最近はHSPという言葉を知ってだいぶ気持ちも楽になりました。
ところがSHElikesでは、幅広い世代の仕事や生き方にいろんな悩みを持って来ている、いわば同志のような方達ばかりだったので、自分の話が、どんどん話せるようになっていきました。(あのとき同じグループだった人にありがとうと言いたい。。)
そんなこんなで体験レッスンは、ライターとwebマーケティングを受講しました。(1日に2種類学べて、私はこの二つを受講できる日を選びました。)
正直、ライターもwebマーケティングもこの時は職業紹介くらいにしか私には感じれないぐらいちんぷんかんぷんでした(すみません)
↓この時の私の脳内↓
・長い文章を書くのは向いていなくて、短い文章で何かを伝えることの方が好きかも。(コピーライターとかどうなんだろう)
・戦略考えるの好きだったけど、数字にこだわるより人との繋がりに喜びを感じるタイプなのかも。(誰かのサポートとか)
そして、最後にSHEの方が「SHEでは、webデザインコースもありますよ。」と言って卒業生の作った作品を見せてくださった時に、
直感でビビッときました。
え、めっちゃ楽しそうやん、これ。
はい、わたし、単純なんです。(笑)
デザインスキルもphotoshopもいじったことのない私でしたが、意を決して、楽しそう!と直感で感じた方を先に受講することを決めました。
4.実際にwebデザイナーを学ぶの巻
挫折しそうだった(笑)
全然操作が覚えられませんでした(笑)
先生が言っていることをこなすのに必死でしたが、バナーを作ったり考えたりするのはとっても楽しかったです。
ちなみに初めて作ったバナーはこちら
なんとか形になって嬉しかったし、受講してる方同士でわからないことを調べあったり、知ったことを共有する時間はとっても励みになりました。
そして一通りコーディングも学び、いよいよ卒業制作では一つHPを作る、ということになり、、
挫折しかけた(笑)
だって、一からコーディングするの無理だよ、全部先生が最初用意してくれてたのになんでぇええ!!!となりましたが、
ここで諦めたら終わりだ、、と何度も言いいかせ、
30万とAdobe代月6980円もかかってるんだから、無駄にはできん。
と歯を食いしばって、なんとか完成にこぎつけました。
そして卒業制作発表日を無事に迎え、HPを発表すると、
優秀賞をいただけたのです、、。その時のツイートはこちら
大人になってから、誰かに表彰されたりするなんてなかなかないよなーと思っていて、SHEのそういう小さな気配りはすごいなーって思う。
この優秀賞のツイートがきっかけで、お仕事の初案件をいただきました。
全てSHEのおかげすぎたけれど、ここからも戦いは続きます。
5.就職活動に失敗。それでもSHEが助けてくれた。
就職というプロセスを歩んできていないわたしからすれば、これはもう大事件でした。
世の中の働いてる人たちは、これを突破して働いているのだから、全世界の働く人たちを尊敬しました。
この頃、SHEでグループコーチングにも通い初めました。(のちにこれが分岐点になります。)
SHEの仲間に教えてもらった転職ツールのwantedlyを使い、初めての就職活動を始め、
結果から言うと、wantedlyで1社応募1社採用で正社員webデザイナーとして内定が出ました。
時系列で言うと、
3月末 バンド解散
4月末 SHElikes 入会
6月頭 webデザイナー受講
7月末 卒業制作発表
8月中旬 wantedlyで初面接
9月頭 内定
9月末でバイトも終了
この時はまだ何もわかっておらず、ただただ喜んでいました。
面接の時に、「出向先が決まって出向した日からお給料が出ますが大丈夫ですか?」と言われて、よくわからないまま、はい!と答えてしまったあの時の自分を殴ってやりたいです。
そして内定が出てから気づけば10月。
待てど暮らせど、出向先との面談の日はやってきませんでした。
やっときた、客先での仕事内容は事務3年と、web運用2年。
わたし、、デザイナーとして採用されたはずだよな、、。
そうして面談に行ったとて、事務がやりたいわけではないし、web運用がやりたかったわけでもないので、面談する人と話がうまく噛み合わない。(しかもこの面談期間中、もちろん給料は出ないし、交通費も出ませんし、きょう今からいけます?と言われたり、バイトがあっても優先してきてくださいと言われていた)
ことごとく受けた面談で、あなたはいらないです通知。
経歴やプロフィールは書きかえられ、わたしはどんどん自分に自信を失っていきました。
そんな中、SHEのグループコーチングがあり、モヤモヤでどうかなりそうだったわたしは、重い腰をあげてSHEに向かったのです。
この日、このコーチングに心から行ってよかったなぁと思いました。
その時コーチングをしてくださった方が、悩んでる私に時間をくれて、コーチングの正規の時間が終わってから、個人で面談してくださったのです。
やりたいことがやれないもどかしさ、自信がどんどんなくなっていく現状。全てを話した時、その方がこんな言葉をかけてくださったのです。
『人生まだ何十年もあるって考えた時に、今すぐ目標にたどり着かなくても、目標の過程に今があるって思えば、どんな選択も間違いじゃない。』
私は、逃げたらダメだとか、これが普通なのかって思い込む事で精一杯でした。そんな私に、選択していい。というパスを投げてくれたのです。
本当に本当に感謝しています。。
そして、私はいただいた内定をお断りし、再び就職活動を始めることを決断したのです。
その後無事、転職に成功し、未経験から正社員としてデザイナーになり、今ではたくさんのデザインをさせていただいております。
そして、SHEで出会ったライターのおにぎりかさんがここまでの過程を記事にしてくださったのでこちらも良ければ。。
6.おわりに
2020年6月19日でSHElikesを卒業いたしました。
それまでの間、いろんな講師の方の授業を受けて、今の仕事に活かせてきたように感じます。
それはきっとこれからも私の中に生き続けると思う。
もしあの時、SHEに通っていなければ、
今とは全く違う人生を歩み始めていたかもしれない。
全ての選択権はいつだって自分にある。
人生の主役は私であり、もっと自分らしく生きていい。
そう教えてくれたSHEに感謝です。
いつかSHEのみなさんと何かお仕事できる日がきたら
たくさん恩返しできるように、私は私で頑張ろう。
そう思いました。
おわり