後がなくなってようやく動き出せる
わたしという人間は動くしかなくなって、ようやく動けるタイプの人間のようです。何か始めた方がいいとわかっていても、なかなか動き出せない自分を怠惰な奴めと思っていたのですが、思い返せば、動きたくても動きたい方向が掴めていなかったのだということがよくわかります。
動ける力がただただ枯渇している時ってのもあると思います。でもそういう時ってその最中だと認識しづらいんですよね。だってご飯食べて寝て一応働いて、みたいな最低限な動きができていると、枯渇しているって気づきづらい。誰か見えるようにしておくれ。
今わたしは初めての分野に、やっとこさチャレンジを始める流れになったわけですが、それも窮地に陥ってようやく見えた一筋の光を頼りに進んだだけのこと。
本当はそうなる前に気付けたらよかったのですが、なかなか望み通りにはいかないものですね。お尻に火がついて、ようやく動き出せたのですから。
初めてのことは当然知らないことだらけで、なかなかうまくできず、毎回ボロボロだったりします。ああすればよかった、こうすればよかったと反省しながら、一歩一歩進むしかないわけですが、まっさらな分、そこにあるのは幾つなっても伸び代だけでしょう。
そして今に至る前、進む道が見えず苦しんでいた景色の中にも暖かいものがあったのだとわかります。
その場から離れてみないと前いた場所のありがたみは、なかなか見えないものなのですね。
もう後がない。やるしかない。
これは時として恐れや苦しみを伴うかもしれませんが、やるしかないという選択肢しか持たない時は、腹が決まっているから案外清々しいものです。だって他の選択肢がないから、余計なことを考えないでいられる。
きっといくつになっても、チャレンジすることというのは結果はどうであれ、やってみるということ自体が面白いことなんでしょうね。
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