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停電の中で💡

昨日の我が家は停電に見舞われた1日だった。

子供たちが学校から帰ってくるなり、今日は学校で停電があったと言う。
朝、登校すると急に電気が消え、エアコンも消えて。
電気の使える教室や体育館などに、お弁当を持って避難したらしい。
お弁当を持ってというのがちょっと笑えるが、タイは非常に暑いので食中毒が心配😟
毎回停電が起きるとお弁当を持って、エアコンの効いている場所に避難するようだ。
幸い1時間ほどで電気は復旧したそう💡

娘は体育が潰れたとぼやいていた一方、息子は社会が潰れたとニヤリ😏
ちなみに学校の停電の原因はリスが電線をかじった事によるそうだ💧🐿️

同じ日の夜、夕食の準備をしている時に、いきなり部屋の電気が消えた。非常灯がついていたので真っ暗ではないものの、電化製品も止まる。
子供たちも、なんだなんだとリビングに集まってきた。
特段たくさんの電気を使ったわけではないが 、おそらくブレーカーがとんだのではと考え、ブレーカーをチェックする☑️
懐中電灯を照らしてのぞき込むもブレーカーがオフになっている様子はない。
そうこうしている間に部屋の中はどんどん暑くなってきて、子どもたちはうちわやハンディ扇風機を持ってきた。
自力では何ともならないのでアパートメントのサービスに連絡をする。

このままもし電気が回復旧しなかったら…
灯は懐中電灯などでしのげるものの、この暑さは厳しいなぁ。熱中症も心配だ。アパートの空き部屋に一晩だけでも泊めてもらえないだろうかなどと考えを巡らせていたところ、フロントのお姉さんが大きなはしごを持ってやってきてくれた‼️
やはり部屋のブレーカーには異常がないことをチェックすると、しばらく待っていて欲しいと言い残して、出て行った。
待つこと10分ほど?
電気が急に灯った💡✨✨

お姉さん曰く、大元のブレーカーが落ちていたらしい。
何かたくさんの電気を使いましたか?と聞かれたが、特段なし。
明日また技術者の方がチェックしてくれるということでその日は終わった。

トータル30分ほどの停電だったと思うが、その間部屋はどんどん気温が上がり、暗闇に娘は怯え。
電気のある暮らしのありがたみを改めて感じると共に、震災で避難生活をされている方達のご苦労に思いを馳せた。

1.17
阪神大震災から29年。
防災について考えるきっかけをくれた停電だった。

最後まで読んでくださりありがとうございました😊

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