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お弁当づくりを復活させたことから、新しい世界が見えてきた

この4月から再就職した夫のために、お弁当を作るようになりました。

実は、仕事を辞めて主婦になって以降、私はずっと夫のお弁当を作っていました。時にはサボることもあったし、手抜きすることもありましたが、トータルすると、長い間、すごく真面目に作り続けてきました。息子が高校生になった時は、夫と息子の二人分のお弁当を、毎朝5時に起きて(←息子の高校は朝が早かったので・汗)、コツコツと律儀に作り続けてきたのです。やがて息子が高校を卒業し大学進学で家を出た後は、夫のお弁当を作っていました。でも、4年ほど前に私が子宮筋腫の手術を受けることになり、その時「無理は止めよう」と思い、お弁当づくりを休業することにしたのです。当時、夫の職場には、売店や食堂(有料だけどワンコイン)があったので、夫にはそちらを利用してもらうことにしました。そして、そのまま、お弁当を作ることを一切止めました。

こうしてずっと夫の定年まで、私は「お弁当づくり」を放棄していたんですが、年が明けて年度末を迎え、新年度に入ったら、私の気持ちが大きく変化して、「早起きしてお弁当を作ってみようかな・・・」と思うようになりました。自分から主体的にそう思うなんて、自分でも正直驚きでした。

こうして、夫の再就職を機に、また作ってみることにしたのです。

以前、お弁当を放棄した後も、お弁当づくりに必要な小さなフライパンや卵焼き器、小鍋、お弁当を詰めるときに使うカップ・・・等は、捨てずに大事に保存しておいたので、それらを引っ張り出して、夫の再就職の日に作ってみることにしました。

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早朝、目覚まし時計でガバッと起きてキッチンへ。タイマーで炊き上がったご飯をお弁当箱に詰めて、ごま塩を振り、ご飯を冷ましておきます。そしておかずを作る行程へ・・・。最初は不思議な感じでした。でも、やりかけると身体が覚えていて、淡々と作業が進みます。この時、卵焼きを作りながら、「楽しい♡」と思いました。

これには自分でもビックリ。本当に心から楽しく感じられたのです。

以前、お弁当作りを頑張っていた頃は、「楽しい」なんて感じたことはありませんでした。仕事だと思い、やらなきゃいけないと自分を追い込んで、ただただ義務感と責任感で必死になって作っていました。特に子供が高校生だった頃は、他のお友達のお弁当より見劣りすると可哀想なんじゃないか・・・と思い、見栄えがするものを作ることで頭がいっぱいでした。(←お母さん「あるある~」ですよね・笑)

今思えば、毎日、しんどかったんですよ(汗)。間違いなく、辛かった。

「これ、私の仕事だから・・・」と思い、ルーティーンの一つと割り切って、眠い目をこすりながら、何も感じず、ただ淡々と作り続けてきた毎日。それはそれで頑張ってきて、ものぐさな私にとっては非常に貴重な体験になったんだけど、そこに「私の気持ち」が追いついていなかったのです。

4年前に「病み上がり」を理由に、自分から「お弁当づくり」を放棄して以降、私はぐーたらな朝を過ごすようになりました。その間、夫は何も言わず、朝はキチンと起き、ご飯を食べて家を出て、毎日の仕事を頑張ってくれていました。そして休日になると、私のために朝ご飯を準備してくれました。朝、何もしないことで、最初は変な罪悪感に苛まれて苦しかったけど、ここは割り切って、「今は充分に休養して、心身を癒やすとき」だと思い、自分を許しました。そして自分を責めるのを止めました。

あの頃の私は、つくづく「何もしない朝」を過ごすことが必要だったのだと思います。当時のお弁当づくりは、自分から「したい」と欲して始めたことでは無く、また、私が「好き」でやっていることでもなく、単純に「嫁なんだから」「母親なんだから」=「やるのが当たり前」と刷り込まれた通りに実践してやってきたことでした。「自分はどうしたいのか?」を考えて決める猶予も無く、頭から「女の私がやるべきこと」だと信じてやってきたのです。なんだか魚の小骨が喉に引っかかっているような、すっきりしないモヤモヤをかすかに感じつつ、私は健気に頑張ってきました。今思えば、私の本音は「私は料理はそれほど好きなジャンルではないんだけど・・・」だったんですよね(汗)。特別好きな訳でもないのに、女だから「うまくできて当たり前」「好きで当たり前」「女の専門分野」という固定観念に縛られて、こういうもんだと自分を無理やり納得させてきたのでしょう。そして、「どうせやるなら、上手に出来るようになりたい」と前向きに取り組んできたのです。

だけど、どんなに努力して「できる」ようになっても、基本的に好きではないことはやっぱり楽しくないし、ストレスなんですよね(汗)。特に自分の意思とは関係なく上から押しつけられたことは、できる・できないに関係なく、やっている最中のストレス度が半端ないです。それで朝からエネルギーを消耗し、かなり疲れが溜まっていたのだと思います。自分では自覚が無かったけど、かなり摩耗してたんですよ・・・。

だから、当時の私には「人のことは置いといて、自分のために朝の時間を自由にのんびり過ごす・・・。」これが大事だったんです。こうして四年間ほど、私はお弁当づくりから解放されてのんびり過ごしたのでした。

のんびり過ごす中で、少しずつ「自分」を取り戻していった私。バラバラに散らばっていた自分のパーツを探し回って順番に埋めていくような日々を過ごしてきました。そうして、今やっている様々なことも肩肘張らずに気楽に取り組めるようになり、そこから「楽しみ」や「喜び」を純粋に感じたり・・・等々。自分の感性を取り戻す毎日でした。

お弁当づくりの他にも、「嫁だから」「妻だから」「母だから」「女だから」という圧力から自分を解き放つことに集中しました。思えば、昭和・平成の日本の女達は、こんな窮屈な世界で本当によく頑張って生きてきたよなぁ~と思います。今もそうした古い価値観に縛られている人は沢山居るけど、これからは、性別による固定された役割分担に意味も価値もなくなり、性差に関係なく「好きなことをやる」「得意な人がやる」「やりたいことをやる」そんな社会になっていくのではないかな・・・と思うのです。無理して我慢して頑張って、ただ苦しいだけの人生より、型にはまらず自由奔放でも、当の本人が楽しく生き生きと輝いているのなら、それが「成功」だし「幸福」なのではないかな・・・と。もう無理して「こうすべき」「こうしなくてはいけない」に自分を合わせることはないんですって。好きにやれば良し。

お弁当だって、作りたい人が作れば良いんだし、嫌なら止めれば良し。無理する必要は無いし、自分のやりやすいスタイルで自由にやればいいんですって。たかが「お昼ご飯」なんですもの。もっと気楽に好きなようにやればいいんです。他の家事も同様。みんなやれば早く済むから、みんなで楽しくやるのも一つの方法。また得意な人に任せてやってもらうのもベストな方法。いろんなスタイルがあって良し、人の数だけやり方も多様にあって良し・・・なんですって。生活に関わることは「生命」に繋がることでもあるのだから、性差に関係なく皆が責任を持って真摯に向き合い取り組むことなんですよ。そして、その部分について、どこまで自分に許せるか・・・そこなんでしょうね。

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こうして心を解放していった先に、お弁当づくりが「楽しい」と自然に感じる私がいました。一周回って元に戻ったみたいな感じだけど(笑)、見えてくる風景が以前とは全く違うものになっていました。とても不思議な気分です。

今朝もお弁当を作りましたよ~。でも、肩の力が完全に抜けているから(笑)、ユルユルで気楽で面白くて楽しかったです。

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Emiko(シモハタエミコ)
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