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「捨てる」とは決断する覚悟を持つこと

私たちの親の世代は、モノが捨てられない人たちが多い。

とにかくいろんなモノを家の中にしまい込み、大事に何年・何十年と溜め込んでいる。

おそらく戦中・戦後のモノのない時代を体験しているから、「モノを捨てる」場面になると、モノがなくて苦しかった昔のことを思い出し、過去のトラウマに苛まれるのかもしれない。

今から70年以上前の戦争末期や戦後は、モノがないことは「死」にも繋がる恐怖であったろうな・・・と思う。だから、昔世代の人はモノに対する執着が驚くほど強い。

質素倹約は「美徳」だという価値観の人たちからすれば、「捨てる」ということは贅沢なことであり、徳のないことに感じられるのだろう。

高度経済成長の時代から社会にモノが溢れていき、今や、モノが有り余って飽和状態になった今現在でも、お年寄りはモノが捨てられず、次から次へと溜まっていくモノを家の中にせっせとしまいこんでいる。

最近では、親が住んでいた家の中のモノの始末で、子供世代が酷い目に遭っているという話が話題によく上がる。親の代わりに子や孫たちが、年寄りが残した不要なモノを処分するため、膨大なエネルギーと時間を削って「ひたすら捨てる」だけの作業に明け暮れる。

うちも、義父母から渡されたとんでもない量の不要物(新婚時に「私たちのために」と渡されたモノで、でも私たちは永久に使うことがない要らないモノ(ゴミも含む)が、家中の押し入れや棚の中にギューギューに詰め込まれていた)を、結婚後20年かけて、義父母に分からないようにコッソリ・コツコツ処分し続けてきた。

これは、モノのない貧乏な時代を生き抜いた義父母にとっての「愛のかたち」なんだろうけど、私にたちには、ただの不要物でしかない。

これがジェネレーション・ギャップというものなんだろうけど、また、これらを勝手に捨てたとなると、義父母が激怒するのが目に見えて分かるので、ばれないようコソコソ捨て続けるのが、本当にストレスで辛かった。

だけど、どうして彼ら(高齢者)は、自分たちの判断で「捨てる」ということが出来ないのか?

「捨てる」ことに対して、罪悪感だけでなく怒りまで感じるのはどうしてなんだろう?

客観的に俯瞰して見れば、「自分たちで捨てられないから、私たち息子夫婦に押しつけた」ということなんだけど、自分たちでも始末に負えないモノを勝手に押しつけておいて、私たちがそれらを使わなかったり捨てたりすると激怒するんだから、本当に理不尽で面倒くさい。

それにしても・・・

うちの義父母だけでなく、モノを捨てられない人たちを観察していると、八方美人で優柔不断な人が多いように感じる。

何かを決めるとき、決断の基準が「自分の意思で判断・決断する」というスタイルではなく、「世間体を第一に、人から認めてもらえる方を選ぶ」というスタイル。これを無意識のうちに癖にしている人が多いように感じる。

男女関係なく「捨てる」ことができない人たちは、「捨てる」という決断ができないのと同じように、「得る」ことに関しても覚悟が出来ていなくて、いつも他人の顔色をうかがい、世間体を気にして「自分の意思で決める」ということから逃げているように思う。

要は、決断力が非常に弱い・・・ということ。

「捨てる」ことも、「得る」ことも、本当は無条件に自分の意思や希望に添って自由に選択していくべきことなんだけど、でも、社会的に選択権がなく世間の価値観に沿って生きていくしかなかった人たちは、自然と「得る」ことも「捨てる」ことも、誰かの許可がないと自由にできない・・・と、刷り込まれている。

だから、いざ「捨てる」となったとき、自分の意思で勝手に捨てたら、人から責められるんじゃないか?世間から贅沢だと陰口されるのではないか?と不安になったり、これを捨てて後で後悔することになったらどうしよう・・・と心配になったりして、自分の行動に決断を下すことが出来ないのだと思う。

つまり、昔の古い価値観「贅沢は敵だ」にガチガチに縛られているため、「捨てる」ことにも「得る」ことにも、罪悪感がつきまとうのだと思う。

そういう人たちが、親世代となり祖父母世代となり終活の時期になっても相変わらず「捨てる」「得る」の覚悟が定まらず、ウジウジと溜め込むだけで決断を先送りしている・・・ということなのだろう。

確かに、「捨てる」ことは相当の覚悟がいるし、モノと「今生の別れ」をするようなものだ。そのモノに染みついた「思い出」も一緒に手放すわけだから、自分の一部分を切り取るような「心の痛さ」も感じる。

でも、古いモノを手放さないと、「新たな空間」は生まれない。

今を生きると言うことは、常に自分を更新し続けていくことでもある。

ならば、どこかでケリをつけて、不要になったモノは潔く手放すことを決意することも、人生には必要だと思う。

そして、新しいものを得ていく覚悟(自分に変化を与える覚悟でもある)を持ち、自分の人生を常にアップデートさせていくことが大事である。

いつまでも古いものに囲まれて生きていくのではなく、今というこの瞬間を生きていく。そこに意識をフォーカスしなくてはいけない。

だからこそ「捨てる」覚悟・「得る」覚悟、この両方を常に心に持ち続けて生きていくことなのだと私は思う。

自分が捨てられないからと言って、自分の家族や周囲にその役目を押しつけるのは、自分の人生を放棄したのと同じ事である。

人は死ぬまで、とことん自分の人生と格闘しなくてはいけない。逃げていたら自分から遠のいてしまう。

自分のためにも、「捨てる」覚悟をもつこと。

「捨てる」という行為を通して、自分の人生に不要なものを見極めて、自分の手で決別していくことだと思う。

それがしっかり出来たとき、人は成長するのだと思う。

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