重度障害者の国会議員が誕生したことについて、私の雑感
今回の参院選挙で、新時代の幕開けを強く感じさせたのが、れいわ新撰組から重度障害者の木村英子さんと船後靖彦さんのお二人が出馬され、見事に当選されたことです。
昔の日本って、障害者をひとくくりにして社会から排除し、彼ら(障害者)がいない前提で、社会の仕組みやシステムを作り上げてきたと思うのです。特に昭和時代は、重度障害児になると「自宅待機」という形で修学の機会すら与えられなかったし、また、外に出れば差別を受けるからと、ずっと家に閉じ込められて座敷牢みたいな状態だったところもあります。社会の理解がないので、家族も差別を避けるために外に出さないように隠してきたのです。私が生まれた頃(昭和40年代)はそういうのが多かったんですよ。そのため、昭和に子育てをしてきた世代は「障害=家の恥」「障害=成功レールから外れた存在・不幸確定」みたいなネガティブなイメージが強いです。特に保守的な地域だと、障害児が生まれると母親は一生自分を責めて子に罪悪感を持ち続け、父親の家族からは蔑まれて、最悪「離縁」ということもありました。
だから、バリバリの昭和世代の古い人々の中には、今も差別的感覚や選民意識が自然に染みついていて、障害者に対する理解のなさを剥き出しにする人もいます。でも、その人たちが生まれ育った時代が、障害者に対する理解が全く無い時代だったから、仕方が無いんですよね・・・。また、そういう親に育てられれば、自然とそういう意識を刷り込まれてしまうし、そうなると子孫代々、「障害者は私たちとは別の世界に生きる人たち」・・・という認識で隔絶して生きてしまうのです。
でも、最近は超高齢化時代に突入し、今までは「障害者なんて・・・」と他人事のようにしていた人たちの周りにも、身内やごく近しい人の間に、老化が原因の身体障害者が普通に出てくるようになりました。例えば、「耳が遠くなって、そのうち聞こえなくなった。」「目が暗くなり、だんだんモノが見えなくなった。」「足腰が痛くて歩けない。足の筋力が衰えて車椅子生活になる。」「認知症が進んで付き添いが必要になる」などなど。寝たきりなんてその最たるものでしょう。
今まで「自分は健康だ」「うちの家系にはそんな者(障害者)はいない」と豪語して威張り散らしてきた人たちも、老化とともに自分もたくさんの障害を抱えるようになり、支援や介助が必要になっていきます。この時、初めて、「今まで他人事だと思っていたけど、実は我が身だった」と初めて実感した人も多いだろうと思います。あるいは、自分にとって大切な家族が事故に遭い、人生の中途で身体障害を得たり、または突然重い病気になって身体機能が著しく損なわれたり、自分の子や孫が知的障害や発達障害だったり・・・等。今や、いつどこで何が起きてもおかしくない時代です。たまたま今は健康だった・・・というだけで、自分もいつどうなるのか分からない。今日もしかしたら身体が動かなくなるかもしれない、認知力が低下して何も出来なくなるかもしれない・・・。まさに「常ならむ」の世界。こうした不安定で変化の多い無常な時代に私たちは生きているのです。(こうした変化を認識し、社会全体で問題を共有して皆で取り組んでいこう・・・と動き始めたのが平成時代だったなぁ・・・と思います)。
障害が全くない完全な健康体の人なんて実はこの社会に一人も居ないんじゃないか・・・と思えるくらい、今は障害者がとても身近な存在になったと思います。皆が身体の不具合を抱えながら生きている時代です。障害まで至らなくても、健康上の問題で日常生活に不便さを感じている人も多いと思います。そう考えると、障害者と健常者の「境界線」は実は薄くて、いつでもその境は簡単に突破できるほど、とても脆くて曖昧なもの・・・なのかもしれません。
そして今現在。昭和時代と比べたら、障害を持つ人々も社会で活動されたり発信されたりして、その姿を普段から目にするようになりました。結果、昔と比べたら、本当に見慣れてきたなぁ・・・と感じます。私は「慣れ」と「ノーマライゼーションの進み具合」は比例すると思うので、障害のある人も健常の人たちもどんどん社会に出て、接点を持ち、お互いに慣れていくといいなぁ・・・と思うのです。
こんな感じで、人々の意識や障害に対する認識が、健常者側だけでなく障害を抱える方々も大きく変わりつつあるのを感じます。今回、こうして令和時代最初の国政選挙で、重度障害者の方が立ち上がり、政治の世界で発言していくことを目的に出馬されたましたが、私は、障害児の母という立場から、今回の出馬のニュースを見て、すごく良いことだわ!是非当選して欲しい!と思いました。そして昨日、無事にお二人とも当選されたことを知り、本当に良かった・・・と思いました。
お二人の政治への参加で、今まではそれが当たり前だった「重度障害者はここには来ない」という国会の常識を壊すことができたのです。かつて昔、「政治の場に女は来ない」と決めつけられてきた壁を壊したように、令和元年に新たにまた壁が壊れました。これを機に、障害者の人々はこんな苦労を抱えているのだ・・・ということを生で見て知ってほしいのです。ちょっとした段差でも何をするにも難儀する世界を生きている・・・。自分もそういう状態になったとき、どうしてもらえるとありがたいのか?・・・それを考えて欲しいのです。そして「ノーマライゼーションとはこういうことなんだ、こういう世界なんだ」・・・と肌で感じて気づいて欲しいなと思います。
昔の感覚の「健常者と同じようにしろ!できないヤツは来るな!」なんて理論はもう通用しない時代です。いまや、そういう昭和的価値観は世界的にも「時代遅れ」であることに早く気づかなくてはいけないし、今も古い価値観に縛られているのなら、早く自分たちの意識を変えなくてはいけないのです。実際にそういう人たちと向き合うことで、「じゃあどういう気持ちでどう向き合っていくといいのか?」を自分のこととして真剣に考える・・・そういう機会を誰もが持たなくてはいけないのだと感じます。
今までは一方的に健常者の理論で社会が押し切られていて、障害者は社会の隅に押しやられてきたのですが、これからはちゃんと障害を持つ人々の事情や状態に耳を傾けて、解決に向けて知恵を絞って取り組んでいくことが大切だと思います。こうして体験から学んだことを、皆がそれぞれに自分の持ち場でいろいろな人と接する度に発揮して還元していくべきだし、政治家は、新しく作る政策に、ここで学んだ新しい視点を練り込んでほしいのです。障害をもつ人々が、限られた条件の中で精一杯に生き、また、どんなに小さなことでも命懸けに取り組んでいらっしゃること、そんな彼らが発する生の声、素直な感性、率直なの意見、生の願いを感じて受け止めて、正面から誠実に向き合ってほしいなと思います。
今や誰もが身体に障害を持ってもおかしくない時代です。そのなかですでに身体障害と向き合い、日々闘っている方の意見を取り入れて、社会をよくすることに生かすことは、今後ますます必要なんじゃないかな・・・。この社会をより良くするために、新たに議員になられたお二人の意見を丁寧に受け止め、大切に扱わなくてはいけないと感じます。
今回の選挙。私たちが子供だった時代には、「無かったこと」にされ、いない者として扱われてきた重度障害者の皆さんが無事に当選されて、ここまでに至った・・・私には本当に感無量でした。特別支援関係の資料や歴史に、今回の当選は記録されるんじゃないかなぁ・・・。これは社会や世論の変化の影響もあるのでしょう。本当にすごいことです。
最後に・・・。
今までは「健康な男性」または「女性のリズムやサイクルを捨てて男性的なサイクルで働くことを強いられても、それに耐えうる健康な女性」オンリーで回されてきた社会だったと思います。でも、重い障害を抱えた人が参入することで「健常者であることが前提の男性性の世界」に大きな風穴を開けたのです。それも、男性性が最強に優位な政治の世界で…ですよ。これを機に、健常で強い男性性を持つ者だけで組織のトップを独占していく時代は終わり、男性性と女性性がバランス良くブレンドしてていき、政策や社会のシステム全てにこうした新しい感覚が浸透していくといいなぁと思います。日本全体で、障害者やその他の多くの存在があること(多様性)を認め、社会全体がもっと自分らしく自由に安心して気楽に生きていける世界へと向かっていくといいです。だって弱者にとって優しい社会は、全ての人にも安心感がある優しい社会だから・・・です。
今回当選されたこのお二人に対して、今後、他の政治家や担当の職員さんたちがどう接していくか?で、その人たちの人間性や価値観が透けて見えてくると思います。もしかしたら一悶着あるでしょうか?いろいろ問題が噴出するかもしれませんが(汗)、自分らしさを見失わず堂々と働いてほしいなと思います。木村さんと同じく、これからどうなっていくのか・・・私も非常に楽しみです。