見出し画像

手を洗うたびに洗い流すもの

仕事柄、手を洗う回数は元々多いのだけど、今は通常よりもさらに増えている。

一日の手を洗う時間と何かを消毒する時間を合算したら、なかなかの時間になるのでは、と思う。(気が遠くなりそうなので、ここでは計算しない。)

カフェをやっている人は、指紋がなくなって、iphoneの指紋認証が認識されなくなった、と言っていた。
飲食店ともなると、私よりさらに回数も多いだろうから、ほんとに大変だなあー。


これだけやっていると、手を洗うたびに、あるいは、手を洗わなきゃ、と思うたびに、
「一体私は何を洗い流そうとしているのだろう?」
「私はどんなに汚いものと接しているというのだろう?」
という疑問がやってきたりする。

もちろん、今、私たちはウィルスという目に見えないものと格闘中であり、人も自分ももしかしたらそいつと触れ合っているかもしれない、という前提で自己防衛あるいは他者防衛のために必要な行動である、ということは重々承知している。
それでも、そういう疑問は脳内を歩き続ける。

そこでやってくる感情は、「そこまでやるほど汚れてないし!」という、ちょっとした腹立たしさだったりするんだけど、そういう疑問も怒りも、一緒に水で洗い流しておくことにしている。

そして、洗い終わったらがんばっている両手に、お気に入りのヒアルロン酸たっぷりの化粧水や友人にもらった上質のハンドクリームをたっぷり塗って、いたわってあげる。

人の体に触れてもいいように、心地よい肌触りの手であるように、私の手も肌もよくがんばっていると思う。


こんな頑丈な体にしてくれた両親に感謝している。
子供のころは虚弱児童だったから、きっと母は自分を責めたりしてきたこともあるだろうけど、今の健康は両親のDNAと母のごはんでできている、と娘は認識している。

だから、「長い休みになったら帰っておいで」とか「調子悪かったら帰りなさい」とか甘い言葉で誘われても、もはや高齢の両親の家に私が何かを連れ帰るわけにはいかないので、私は私の居場所で日常を過ごすことにしている。

(2020.03.28記)

最後まで読んでいただいてありがとうございます! ここで私の言葉をお届けできたこと、うれしく思います。 みちのえみこ