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痙攣性発声障害、克服ものがたり③


こんばんは!
椛島恵美です。

photo :
https://www.instagram.com/exaheart/


9/19 四連休初日から、
【痙攣性発声障害、克服ものがたり】
を4つにわけてお届けしております!

今日はその③

【活動休止→発声障害完治】

までに起きた出来事と、
自分の心ととことん向き合い知った、
自分とは何者か、という部分について

掘り下げて書いてみようと思います。

よかったらお付き合いください!

よーいどん!!


そんなわけで、24歳が終わろうとする頃!

わたしは約5年、ほぼ休みなしに続けてきた音楽活動から、離れることになります。

それはある種
自分の中の"当たり前"が終わる瞬間

すごく怖かった。

活動休止を発表し、
実際に活動休止日を迎えるまでの数ヶ月間


膨大にお金のかかる手術や注射は避けつつ

それ以外に思い当たるものはすべて試しました。


とってもお金がかかりました。

でもね、神様がいるとしたならば。
神様は、最後の小さな一筋の光だけはいつもちゃんと、残してくれるんですね。

実は、
忙しく音楽活動をさせて頂いてたおかげで
貯めていたお金がしっかりあったんです。


思い切って治療に臨めたのは
本当に活動で支えてくれていた人たちのおかげ

そう思うと、これまた感謝の念が尽きません。

そんなわけで!!

針治療、ボイスケアサロン、整体。

頻繁に通い続けました。

お友達の紹介もあり、
素敵な先生とも出逢うことができ。

様々な先生に様々なジャンルで相談に乗ってもらったり、試したりしていく中

もうひとつ、とある方からの紹介で
行ってみた場所があります。  


"ピプノセラピー"

それは一体何かというと、


催眠療法

です。


なんでも、催眠術にかかりながら
過去に遡り、
過去のトラウマなどに触れ、癒していくものだというのだけれど。。。


なにそれぇーー!!!
ちょーこわい!!!(笑)
でもめちゃくちゃ興味ある!!!


という感じで
半信半疑ではありましたが
新しい発見があるかもしれないと、
これまた好奇心で受けてみることになりました。

ここでわたしは、
自分でも信じられないほど
自分というものを知ることになるのです。


■催眠療法で、過去の自分と向き合う


先生の質問は、ざっとこんな感じ。

幼少期どんな子だったか
家族構成や、関係性
友人関係
恋愛など

まずはゆっくり今のわたし、過去のわたしというものを聞いてくれましたが

仕事についてはあまり触れず。


「じゃぁ、今からスタートしますね、全部直感で、何も考えずに答えてくださいね」

目を閉じると

催眠誘導されるわたし。


そして


あっという間に催眠術にかかるわたし(笑)


過去の辛かった時の自分の心の中に、
誘導してもらいながら

先生からの質問に直感で答えていきます。

無意識の中で会話しているので
今ほとんど会話の内容の記憶がないのですが

ひとつだけ明確に覚えていることがあり

それが大きな大きな気づきをくれたんです。

先生「辛かったよね。今、恵美ちゃんどこにいる?」

わたし「〇〇」

先生「そっか、そこにいる恵美ちゃんは、今、なんて言ってる?」


そして次にわたしが口にしたのはなんと、



「もう帰りたい!!!!寝たい!!!!」


。。。

わたしはそのとき。
涙をボロボロ流していました。

もう帰りたい!!もう寝たい!!!
って言いながら、止まらないんです、涙が。


先生は言います。

「そっかそっか、じゃぁ心の中で、その子に言ってあげて、

"もう帰っていいよ、もうゆっくり寝てもいいよ、よく頑張ったね"

って」

その通りに心の中でその子に話しかけると、

更に涙が溢れます。



そして落ち着いたあと、
ゆっくりと目を開けたわたしはこう思ったんです。


「わたし…そんなことにも気付かなかったんだ…」


心の底から衝撃でした。

帰りたい、寝たいって…
そんなことでこんなに泣くくらい、

自分のこと、
見てなかったんだな、、、

って。


帰り道、
張り詰めていた何かがストンと落ちて、

疲れ切ってはいるんだけど、
なぜか心は軽くなったという不思議な感覚になりながら、帰ったことを覚えています。


そこからのわたしは、

心の奥底にいたもう1人の自分が、存在に気付いてもらえた!!と喜んでダンス💃でもしてるかのような(笑)

まるで風船に小さく穴を空けた時のそれのように
過去の記憶やトラウマが勢いよく溢れ出ていきます。

ゆっくり、ゆっくり、

あの頃の自分
あの時の自分

そうだね、怖かったね。いやだったね。
頑張ったねえ。

過去の自分に
目を心を向けるリハビリのようなものを

繰り返していった日々でした。

でも、そうですね、
もちろん、それで急に発声障害が治るわけではなかったので、

活動休止中は
声をあまり使わなくて良いお仕事に就き


その都度自分に生まれる感情を優しく撫でながら、
1年半の間、お仕事を頑張らせていただきました^ - ^

そして、この頃はもう、
お金もなくなっちゃってたので、
本格的な治療は全部お休み。

ただひたすらに
週5で9:00〜18:00
カレンダー通りに毎日働き

忙しいー残業だー休日出勤だー!!

なんて言いながら
同じ部署の仲間と楽しく仕事をしていたわけでした。

■大きな心の変化

忙しくお仕事をさせてもらう中で

大きな心の変化が生まれます。


「もしかしたら、音楽をしていなくても、私って幸せなのかもしれない」

それは、人生の選択肢が、
もう一つ増えたという感覚でした。

音楽しかないと思っていた自分
音楽じゃなきゃダメ、だなんて決めつけてた自分にとって、その感情の変化はとても大きく。

ある友人に
「恵美ってこれからどうするの?このままOL続けるの?」と不意に聞かれたとき

「んー、それもありかもね」

なんて、ナチュラルに答える自分もいたりした。


だって、今の仕事忙しいけど、
ちゃんと同じ毎日がある。


朝起きて、鏡を見て、今日も生きてるなって感じて、仕事に行って、昨日と同じ人と会って、忙しく働いて、帰ってきて、夜ご飯食べて、好きに過ごして、ゆっくり眠れば、また明日がやってくる。

それって
実はすごく幸せなことなんじゃないのかな。

音楽活動に戻れなくても、
わたし、今幸せかもしれない。

そんな風に心の底から思ったんです。


その頃から、わたしは、


自分が発声障害であったことを忘れて

楽しく笑っていること

が、増えました。

たまに喉が気になる瞬間があっても、

「まぁ、治らなくてもいっか。それでも幸せだしなぁ」だなんて。



それは、確かに
今までとは違う人生を歩む、
今までとは違うわたしでした。



もう一つの人生を知ることで、
音楽への執着心が解かれたこと。

"今、ここに生きてる"
"ないもの"を嘆かず、
"今あるもの"を大切に感じて、
ありがとうと思えるような自分になったこと 

"人生にはちゃんと選択肢があることと、
それは自分で選んでいいものだと知れたこと"

そして何より


自分を大切にすることの本当の意味を

知れたこと


これが発声障害がわたしにくれた財産です。


■その後

会社で1年半働き、
2018年3月、26歳のわたしは、
話声に対しての不安がなくなった頃から信頼のできるボイストレーナー さんの元へ出向き、

もう一度ステージにあがれるように
トレーニングをして頂きました。


そのときのわたしは、

音楽で食べていかなきゃ!!!
事務所から抜けたんだから、一人でちゃんとやらなきゃ!!!

という、見えない何かからの強迫観念などではなく、


「歌いたいから、歌う」

ただ、それだけのことでした。


そんな風にして
活動を復帰したわたしは、

復帰からしばらくは
不安定な歌声が続きましたが、

温かく迎えてくれるファンの方や
変わらず共に歌ってくれる仲間たち
変わらず味方になってくれる関係者の皆さん

そんな方々に対して心から感謝できるような自分で、歌を歌えるようになりました。


自分で選んでここへ戻ってきた。
前とは違う自分で。

それは、また一から作り上げていく、
新人のような気持ちで。

こうして、2018年の夏頃には
胸を張って「完治です」と言えるようになるまでになったんです。


はぁ!!!本当にありがとう!!!

ありがとうしかないんだ、この世の中は

アホみたいにそう叫びたくなるそんな日も
少なくありません。


こんな長文を
読んでくれてありがとうございます!


明日はいよいよ、最終日!!

完治してからも大切にしていることを

具体的に例をあげながら
書いてみようと思います^ - ^


まとまっているのかどうか
実に不安ですが、
ここまで読んでくれているみなさん
本当にどうもありがとうございます^ ^!

明日もよかったら
お付き合いくださーい🌱🌱🌱

克服ものがたり④はこちら

椛島恵美

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