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虹のはじまりには愛が埋まっている1話目

桜の樹の下には死体が埋まっているんだよ、という名文を書いた梶井基次郎の「櫻の樹の下には」は有名な話だと鹿野すずは思う。十一月一日、すずは十八歳の誕生日を迎えた。法律的には成人を迎えたもののお酒はまだ飲めない歳。そんな目出度い素晴らしき日にすずは法事に来ていた。何よりも大好きで誰よりも自分の味方をしていてくれた祖母の一周忌だからだ。享年、八十五歳。バースデーソングの代わりにお経、ケーキの蝋燭の代わりに線香が鼻腔をくすぐる。大きく低い抑揚のないお坊さんの声はずっと昔から大嫌いだった。そもそも黒い服も好きじゃない。法事が始まって五分、こっそりとお坊さんのお経を右から左に聞き流しながらそっと外に出た。空を見上げると黒い雲がポツリと小さな雨粒を落としてきた。ポツリ、ポツリそうやって降る癖に雨音が強くならない雨に若干の不満を感じながらすずは「降るなら降りやがれってんだ」と空に文句を呟く。本日の主役、大好きな母方の祖母である大塚チエは明るい人柄で近所で何か揉め事があれば仲を取りもち、共働きの両親を一人で夜遅くまで待つ子供がいれば「ウチでご飯たべぇ」と煮物や炊き込みご飯を温かいうちに食べさせ、迎えに来た親に翌日の朝食をすらも持たせ、休日は子ども食堂のボランティアをしに行ったりなど誰からも好かれる性格の誰よりも苦労した優しい女性だった。それに比べて
自分は集団生活に馴染めず鈍臭くて友達なんて近所の猫ちゃんしかいない。しかも老猫だ。深い溜め息選手権があれば世界新記録を叩き出していると自信を持って言える。それほどにも深いため息をついて寺の敷地内にある小さな池をぼうっと眺めていると背後から母、美恵子の声がした。
「すずちゃんこんな所にいたの。ダメでしょ、ちゃんと座ってないと」
「こんな真っ黒い服でチィちゃんの前に立ちたくないんよ」
「昨日までは黒で良いって言ってたじゃない。もう、気分屋なんだから」
「このネックレスもチクチクして好きじゃない。おかん取ってほし」
「あと少しでしょ。皆もう出てくるよ、予約してるご飯やさんあるから行くよ」
「やだ。静かな所が良い。大きな音は怖い」
「大声で話すわけじゃあるまいし…お母さんがお世話になった人たちいっぱい来てるんだから来な」
「お母さんのお付き合いならお母さんがやればええん」
「あんたねぇここで言うお母さんはね、ばぁばの事に決まってるでしょう」
「あーね」
「もう。たまにすずちゃん話通じないんだから」
「でもチィちゃんはわかってくれたもん」
「もうお母さんいないんだからすずちゃんも甘えてばかりじゃダメよ」
「…うん」
そう言って母親は足早にお店に「今から行きます」と電話をしに駐車場へと駆けて行った。ポツン、と置いていかれたすずは深い溜め息をもう一つ吐いて、外してもらえなかったパールのネックレスを不器用ながらも外した。確かこのパールのネックレスもチィちゃんの形見だとお母さんが言っていた気がする。
チィちゃん、チィちゃんどこにいるの?私の時系列が乱れたお話をウンウンと笑って聞いてくれたチィちゃん、最初に教えられたやり方でしか物事を進められない私を「すずちゃんはそれでええの」と撫でてくれた小さく皺くちゃな温かいチィちゃん。

* * *

「いやぁー、すずちゃんも十八歳かぁ」
「綺麗になったもんだなぁ、こーんなに小さかったのになぁ」
お寺から食事処に移ったところで親戚たちが話す話題は法事の日に誕生日を迎えた自分のことで持ちきりだった。早く花嫁姿が見たいね、彼氏いるの?女は二十五歳までが花盛りだからね、そんな品のない下世話な話ばかりをすずやすずの母親に振る。母親はそれに対してのらりくらりとかわしているが酔った男性陣の「ガハハハ!!」という大きな声は振られた話題よりもっと不快ですずは直様この大広間から出て行ってしまいたかった。
「おかーさんの嘘つき」
「ん?」
「別に」
「すずちゃんもさ、にっこり笑って「そうですねー」で済ませてごらん?相手は酔った時に言ったこと忘れてるし、まともに受け取る必要ないんだよ」
「面白くないのに笑えないよ」
「あっそ」
母親は断固として笑おうとしないすずに呆れたのかお酒の追加を頼みに店員さんの元へ行ってしまった。あぁ、兎にも角にもなぜ自分はこんなにも生きづらいのか。小さい頃からそうだった。それでもすずが小学生になったばかりの頃、癌で亡くなった父親は自分のことを「すずは天才だなぁ」と笑って痩せほそった腕ですずを抱きしめてくれた。何が天才なのか、何を褒められてそう言われたのかもう覚えていないけれど。もし自分が天才だというならばこんなに世間から爪弾きにされているような疎外感に苛まれる事もないだろう。

気がつけば外はざあざあ、と雨が強くなっており室内ですら聞こえるその強い雨足に親戚のおじさんやおばさんたちは「もう少し、落ち着くまではここにいようか」と口々に答える。先ほど自分の「降るなら降れってんだ」と曇天を挑発した自分を池に落としたい気持ちを抑え、すずは部屋の隅っこで先日、少し早めの誕生日プレゼントだよ、と買ってもらったばかりの発売したてほやほやの携帯を弄ることしかできなかった。


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